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父の死を乗り越え、会計士の道へ。数々の挑戦の先に、播磨がVisionalへ参画した理由。

今回は、Visionalの社外取締役監査等委員を務める播磨奈央子さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、播磨さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したもの、もしくはリモートで撮影したものです。


プロフィール

播磨 奈央子/Harima Naoko
2003年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、朝日監査法人(現・あずさ監査法人)へ入所。2007年、公認会計士登録。2008年、個人会計事務所を開設後、ジャパン・ホテル・アンド・リゾート株式会社(現・ジャパン・ホテル・リート・アドバイザーズ株式会社)にて、アクイジション、ホテル経営会社管理統括、決算開示業務を経験。その後、日本環境設計株式会社及び株式会社キノファーマ社外監査役、アツギ株式会社社外取締役を歴任。2019年1月、株式会社ビズリーチ社外監査役、2020年2月、ビジョナル株式会社社外取締役監査等委員に就任。


尊敬する父の病。自分自身の力で生きていくために、公認会計士の資格取得を目指す。

──今回は、これまでの人生を遡りながら、播磨さんが大切にしている価値観や信条に迫っていきたいと思っています。いろいろとお話を聞かせてください!

こうした機会をいただけてとても嬉しいです。緊張しますが、どうぞよろしくお願いします!

──まず、幼少期の話から聞かせてください。

父、母、3歳年下の妹の4人家族で育ちました。

小学校、中学校、高校と大学附属の私立女子校に通っていました。ピアノや宝塚観劇が大好きで、家では妹と宝塚ごっこをしてよく遊んでいましたね。

父がデベロッパーで建築士として働いていた影響もあり、幼少期から不動産が好きでした。父の仕事を真似してマンションの間取りを書いたり、価格を研究したりして遊んでいたこともありました。

──学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

小学校の頃は、今から振り返ってみると優等生なタイプだったと思います。ただ、中学生になると、学校の外の世界に興味が出てきて、同時に親への反抗心が芽生えるようになりました。

そんな反抗期の中、高校1年生の終わりに、父が脳卒中で倒れてしまいました。手術と3ヶ月ほどの入院を経て元気に退院したものの、これまで当たり前だった日常が崩れ落ちてしまう恐怖心を感じたのと同時に、「学校は辞めなくても大丈夫なのか」「これからどうやって生きていけばよいのか」と、反抗している場合ではないと気付きました。

──その当時、お父様とはどのような関係性だったのでしょうか。

反抗することもありましたが、それでも私は、一家の大黒柱として頼もしい存在である父を尊敬していました。そんな父が倒れてしまったからこそ、万が一何かあった時に、「自分自身の力で生きていかなければならない」という想いが芽生えました。

今となってはもっといろいろな選択肢があったと思いますが、当時は、資格を取得することが女性が働き続けるための一つの手段だと思い、様々な資格について調べました。そして、当時、数学が好きだったこともあり、将来は公認会計士になることを決め、会計士資格の取得を前提に外部の大学を受験することや、どの学部に進学するかについて検討し始めました。

──大学では、経済学部に入学されましたね。

はい、大学に入学してから会計士試験に向けて本格的に勉強を始めました。

ただ、大学2年生の夏に、父が脳梗塞で突然亡くなりました。父は、数年前の脳卒中を乗り越え、退院後すぐに仕事に復帰しており、いつものように元気に過ごしていたので、あまりにも急な出来事でした。

このまま会計士受験を続けるべきだろうかと悩んだり、周りの友人たちが就職活動をして進路を決めるなか、自分は試験に合格しなければ無職になってしまうという不安もありました。ただ、一度自分で挑戦すると決めたことだったからこそ、絶対に諦めたくはありませんでした。

何より、母は「自分がやりたいことをやりなさい」と言って、そんな私の挑戦を温かく支え続けてくれました。父の死後、母だけでなく、祖母をはじめ、本当にいろいろな人たちの支えがあって、生活面ではほとんどの不自由なく過ごさせてもらいました。だからこそ、将来、自分が頑張って活躍する姿を見せることが、そうした人たちへの恩返しになると考えました。今から振り返ると、その気持ちが、今働き続けていることの原動力になっているのだと思います。

──公認会計士の資格を取った時、どのようなことを思いましたか?

高校生の時から設定していた目標の一つだったので、大きな達成感がありました。父が亡くなった時に感じた「これからどうやって生きていけばいいのだろう」という課題を、自分の努力で乗り越えることができたと思い、ある程度の自信に繋がったとも思います。

また、父の死を乗り越えて、もう一つ思ったことがあります。それは、「人間はいつ死ぬか分からない。だからこそ、いつその時が来ても後悔しないよう、何事にも全力で挑戦し続けよう」という想いです。これは今に至るまで私の人生のテーマとなっています。


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挑戦の連続の日々。会計士から派生し続けた独自のキャリア。

──会計士試験の合格後、播磨さんは、どのようにキャリアをスタートさせたのでしょうか?

朝日監査法人(現:あずさ監査法人)に入所して、国内メーカ―や外資系ブランドなど、様々な業界で監査の経験を積みました。初めての社会人生活、いろいろなクライアントに伺い、また出張で全国を駆け巡ったりと、とても楽しく学びの多い時間を過ごさせていただきました。

ただ、自分の中で会計士という資格は一つの「手段」であったことと、自分自身でビジネス判断をし、より事業に近い立場で働いてみたいという想いが強くなり、個人の会計事務所を開設した後、ホテルに特化した不動産投資信託の運用会社に入社しました。当初は財務のポジションで働くことを想定していたのですが、入社面談を進めるうちにご縁があって、不動産やホテル経営会社のデューデリジェンス、評価、入札などを行うアクイジション部で仕事をさせてもらうことになりました。

──ご自身の本来の専門領域を離れ、アクイジション部へチャレンジすることに不安はありませんでしたか?

確かに、会計士は、事業会社に入社後、経理や財務の業務に携わる方が多いかもしれません。ただ私は、目の前に来たチャンスには、何事にも全力でチャレンジしようと決めていました。

それに、もともと父の影響で幼少期から不動産に興味があったので、大好きなホテルと不動産を掛け合わせたアクイジション部の業務も前向きに楽しめると思っていました。そしてその後、子育てとの両立の中で、ホテルの管理統括業務や経理をはじめ、フロントからバックオフィスまで、数多くの業務を経験させてもらいました。あの時のいくつもの経験が、自分の中では非常に大きな糧となっていると思っています。

──その後、2017年7月からは、日本環境設計の常勤監査役を務められていますね。

はい。ちょうどワークライフバランスについて考えていた時、会計士協会を通して紹介してもらったのが監査役(または取締役監査等委員)という仕事でした。これも、自分にとっては新しいチャレンジでしたね。

監査役は、直接業務を執行できるわけではありませんが、取締役会や重要な会議に出て意見を述べたり、取締役の職務遂行を監督する役割を担います。時には意見を言うだけでなく、株主を代表して訴訟を起こすこともあります。

私は1社目に入所した監査法人を比較的早いタイミングで退職していたため、また監査の仕事に戻ることに不安もありました。ただ、いざ挑戦してみると、監査法人の会計監査よりも枠が広く、ビジネスだけでなく人間関係や人生など、いろいろな学びや気付きがありましたね。

──こうして振り返ってみると、播磨さんのキャリアは、いくつもの挑戦の連続で形作られていますね。

ありがとうございます。そう言ってもらえてとても嬉しいです。

また、いろいろな環境で新しいことに挑戦し続けてきたなかで、とても嬉しいことがありました。仕事でご一緒した方の紹介を通じて、昔、父と一緒に働いていた方と出会うことができたのです。

私が学生の頃は、家で父の仕事の話を聞く機会はなかったので、社会人になってからは、「もっと父と話しておけばよかった」と後悔することもありました。しかし、父の死後20年弱の時を経て、その方から、父の仕事ぶりや「とても部下想いの上司だった」というお話を聞いて、初めて、会社で働く父の顔を想像することができました。またその時に、それまでずっと抱いていた後悔の気持ちが軽くなりました。

こうして、父と一緒に働いていた方にお会いすることができたのは、これまで新しい環境に挑戦し続けてきたからこそ。ずっと努力を重ねてきた日々が、あの時に報われたような思いがしましたね。


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子どもたちと一緒に過ごす休日


南の「約束」「願い」という言葉に心を動かされ、ビズリーチへの参画を決意。

──続いて、2019年にビズリーチの監査役に就任するまでの経緯について教えてください。

日本環境設計の監査役の任期が迫っていて、次も監査役を続けるか悩んでいた頃に、南さんから直接メールをいただいたことがきっかけでした。

実際にお会いして、ビズリーチの創業の話や、数々の新しい事業についての話を伺うなかでとても印象的だったのは、南さんが「約束」という言葉を何度も使っていたことです。その言葉を大切にしながら話す南さんの姿を見て、彼が「約束」という言葉に込めた覚悟や決意を感じ取ることができました。そして直感的に、この人はきっと信頼できる人だと思いましたね。

また、経営とは「願い」である、というお話にも心を動かされました。実際に、その「願い」を叶えるために、変化を止めずに成長し続けてきたビズリーチの話を聞いて、強く惹かれました。

何より、南さんの話を聞いて、変化と挑戦を続ける会社のスタンスが、自分の生き方と合っていると思いました。そして、ビズリーチのみなさんと一緒に働くことで、自分自身も更に成長できると確信して、監査役のお話を受けさせていただくことになりました。

──実際に、ビズリーチに携わるようになって感じたことがあれば教えてください。

実は、社会人になってから監査という仕事を経験する中で一番感動したことがありました。

私がビズリーチに携わり始めてから間もない頃の会議で、ある担当者から問題事項の報告があった時のことです。

その時に、竹内(真)さんが、「これは美しいね。」「こういう問題点をデータとして自動的に吸い上げ、解決できる仕組みを作ることが出来たら、エンジニア冥利につきるよね。」とおっしゃったのです。

他の人から問題点などを指摘されることは、決して気持ちの良いことではありませんよね。実際に私はこれまで、指摘されて怒り出したり、言い訳をする人も数多く見てきました。

それでも竹内さんは、目の前の課題を冷静に捉えながらも、これから仕組みによって解決していけることにポジティブなスタンスだったんですよね。私は、その姿勢にとても感動しました。

そしてその時に、ビズリーチは、強力なリーダーシップを持つ南さんの力だけで成長しているのではなく、様々な領域のプロフェッショナルが集まった組織力の高い会社なのだと思いました。

また、この会社には「価値あることを、正しくやろう。」というValueがあります。監査役に就任させていただいてから、いろいろな人と一緒に仕事をするなかで、この言葉を行動をもって体現している人が本当に多いと感じています。


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ビジョナル株式会社の社長室メンバーとの集合写真


──2020年2月、ビズリーチはグループ経営体制へ移行し、Visionalとして新しいスタートを切りました。播磨さんのVisionalにおけるミッションや、これから成し遂げたいことについて教えてください。

Visionalは、今期発表された物流業界への進出をはじめ、これからもテクノロジーの力を活用しながら新しい挑戦を続けていくと思います。私の役割は、これからもVisionalが次々と挑戦し続けるために、監査役の立場から問題を見つけること、そして、会社の健全な成長のために警鐘を鳴らし続けることです。

監査というと、もしかしたらネガティブな印象をお持ちの方もいるかもしれませんが、「あなたがいてくれて良かった」と言ってもらえるような存在になるために、みなさんの想いに寄り添った働き方をしたいと思っています。私は社外取締役という立場ですが、Visionalの更なる成長を願う気持ちはみなさんと同じだからこそ、少しでも貢献したいと思っています。

また、いつか子育てが落ち着いたら、今度は執行側で会社や世間のためにお役に立てる仕事に挑戦できたら楽しそうだなと思っていますね。

──本日は、ありがとうございました!

こちらこそ、本日はありがとうございました! 今後ともよろしくお願いします!


この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。


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