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プロダクトマネージャーからバリュー大臣まで。トラボックス 片岡慎也のキャリアと哲学。

今回は、2021年2月1日に、トラボックス株式会社の代表取締役社長に就任した片岡慎也さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、片岡さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事内の写真の撮影は、ソーシャルディスタンスを保ちながら、撮影時のみマスクを外して行いました。


プロフィール

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片岡 慎也/Kataoka Shinya
2006年、オハイオ州立大学マーケティング&ロジスティクス科卒業。ロジスティクスコンサルタントとして株式会社フレームワークスにてキャリアをスタートし、その後、アスクル株式会社、グリー株式会社、株式会社フリークアウトを経て、株式会社メルカリにて日本向けプロダクト責任者、アメリカ向けプロダクトの部門長などを務めた後、株式会社メルペイにてHRとビジネスオペレーションを管掌し経営に携わる。2021年1月、トラボックス株式会社に入社、同年2月、代表取締役社長に就任。


世界の広さに感銘を受け、アメリカ留学を決意。

──はじめに、幼少期や学生時代のお話を聞かせてください。

栃木県宇都宮市で生まれ育ちました。6つ上に姉がいて、板前として働いていた父は家にいないことが多かったので、子どもの頃は、母と姉と一緒に過ごす時間が長かったです。決して裕福とはいえない家庭ではありましたが、心を豊かに持てるよう育ててくれた親には感謝しています。

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幼稚園の頃。母と海で遊んでいる時の写真。

──当時のご自身を振り返って、どのような子どもだったと思っていますか?

とても楽観的で、嫌なことはすぐに忘れてしまうような子どもでした。それは今の自分にも通じていて、たとえ嫌なことがあっても、自分でコントロールできないことは気にしないようにしています。逆に、自分がコントロールできることだけを見極めて、そこに対しフルスイングで打ちにいくタイプでした。現在41歳ですが、その性格は今も変わらず、それでも何とかできているのは、幸いなことに、支えてくれる周りの方たちのおかげだと思っています。

──片岡さんは、中学卒業後、建築を学ぶために工業高等専門学校に進学していますね。

はい。理由は、当時、将来の住む家を自分で建てたいと思っていたからです。自分以外に高専を選ぶクラスメイトは他にいませんでしたが、自分の選択に自信があり、どうしても目指していた学校に入学したくて、中学3年生の1年間は思いっきり勉強しました。その高専は建築を学ぶにはとても素晴らしい学校でしたが、キャリア選択という意味で言えば、建築以外の道がなく将来の潰しがきかないので、今から振り返ると、親はよく許してくれたなと思います。

──高専を卒業後、片岡さんはアメリカへ留学していますよね。

はい。高専の卒業旅行として、初の海外で、オーストラリアのシドニーへ行ったのですが、その時の体験がきっかけとしてとても大きかったです。振り返ると、それまでの人生においては、勉強もスポーツも得意で、人付き合いも上手くいっていたので、言ってしまえば、恐いものなしの学生時代だったんですよね。ただそんな自分が、いざ異国の地へ出てみると、言語の壁に阻まれ簡単な買い物すらままならない。事前に英会話スクールにも通っていたのですが自分の英語がなかなか通用せず、海の向こうの世界へ出て見ると、自分は井の中の蛙であったことを痛感しました。ただその時は、挫折を味わったというよりも、世界の広さに感動した、という気持ちのほうが大きかったです。

その時は既に、高専卒業後の就職先も決まっていたのですが、当時20歳の私は世界の広さを知ったが故、思い描く未来がそれまでと変わってしまいました。そして、直前にして就職を辞退して、海外留学を目指すことにしました。今から考えても無茶苦茶な選択だったと思いますが、母は私の選択に賛成してくれて、就職する予定だった会社に一緒に出向いて頭を下げてくれました。母への申し訳なさとありがたさで、とにかく胸がいっぱいになり、また、当時はまだ何者でもなかった自分自身の不甲斐なさを強く感じ、それをバネにして留学実現に向けて動き出し始めました。

留学を決意してからは、その費用を貯めるために工場や飲み屋で働く日々が続き、とても辛く苦しい思いもしましたが、親の理解と支えもあり、無事にアメリカへ留学することができました。

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アメリカ留学前に成田空港で撮った写真。

当時はほとんど英語ができなかったので、最初の2年半は短大で英語の勉強をしながら単位を取り、その後、オハイオ州立大学に編入し、マーケティング&ロジスティクスを専攻しました。

──マーケティング&ロジスティクス科を選んだのは、なぜだったのでしょうか?

もともとインターネットが好きで、MIS(Management Information Systems:経営情報システム)を専攻したいと考えていて、レベルが高く、かつ学費が安いオハイオ州立大学を選んだのですが、その後に、この大学のロジスティクス科は全米トップレベルであることを知りました。

その時に初めて「物流」という学問があることを知り、興味を持ちました。将来的にどれだけテクノロジーが発達したとしても、物を運ぶことは決してなくなることがないからこそ、いつまでも通用する学問であると思い、そうした学問をトップクラスの環境で学べることに魅力を感じ、マーケティング&ロジスティクス科を選びました。


プロダクトマネージャーからHR領域へ。「バリュー大臣」として組織づくりを推進。

──オハイオ州立大学を卒業した後のキャリアについて教えてください。

卒業後、フレームワークスで、ロジスティクスコンサルタントとして働き始めました。この会社を選んだ理由は、当時、海外進出を視野に入れていたから、また、将来的に事業会社で働くために必要な土台となる力を、コンサルタント業務を通して養いたいと考えたからです。

その時期に定期的に参加していたロジスティクス研究会でご縁があり、アスクルの新規事業部門の方からお声がけをいただきました。はじめは、まだ自分の実力が及んでいないと思ったのですが、またとない機会に思い切って挑戦しようと決め、2007年に転職をしました。アスクルには3年ほど在籍し、新しいtoCサービスの立ち上げに携わりました。これが、私のプロダクトマネージャー(以下、PdM)としてのキャリアのスタートです。

──その後、2010年に、グリーへ転職しましたね。

はい。当時は、ガラケー中心の時代で、日本独自のモバイルコンテンツが大流行となっていて、今後、そうした独自のコンテンツを世界に広めていくことに大きな可能性を感じ、また、成長産業であれば自分も大きく成長できるだろうと思いました。そして、「日本から世界へ」という軸で会社を探すなかで、グリーの選考を受けました。

実は今だからこそ言えるのですが、グリーは一度面接で落ちていたのですが、それでもどうしても諦めきれずに「無給でもいいから働かせてください」という手紙を書き、そして運よく、もう一度面接を受けさせていただくことができました。そして、再び想いを伝え入社が決まり、ありがたいことに、グローバルプロジェクトの立ち上げメンバーとして、海外で挑戦する機会をいただきました。

──その後、フリークアウトを経て、2014年にメルカリへ転職されましたね。メルカリでは、どのようなことに挑んできたのでしょうか?

メルカリでは、それまでに経験したことのない仕事に次々と挑戦させていただくなかで、次第に、PdMから、人や組織の領域を担当するポジションへと変わっていきました。

JP版メルカリのプロダクト責任者を経て、その後、US版メルカリのディレクターとして東京チームのプロダクトマネジメントと組織づくりを担当。そして、メルペイのHR領域(および、ビジネスオペレーション領域)の管掌を任せてもらいました。もともとはHR領域における経験や知見がほとんどありませんでしたが、自分としても、組織創り、チーム創りが得意であることは自覚していたのと、PdMに次ぐ2本目の軸を持ちたいと考え、引き受けさせていただきました。

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──メルペイでの役割においては、初めて挑むことも多かったと思いますが、どのようにして取り組んでいったのでしょうか?

一番はじめは、私自身が働く現場のことを知らなかったので、何か判断を求められても、自分で自分の判断を信じることができませんでした。だからこそまずは、働く現場にディープダイブするしかないと思いました。ここでいうディープダイブというのは、現場に深く潜り、業務や課題の本質を理解することです。私が実施したのは、限られた時間の中で現場の仲間たちと話し、業務を学び、一人一人の顔や人となりを理解したうえで、経営的目線をもって物事を判断することでした。

後から振り返れば、まだ業務や仲間についての理解が浅かった時点で立てた仮説の中に、正しいものもいくつもありました。ただ、私自身が現場に深く潜っているかどうかで、人や組織を動かすうえでの説得力や納得感は大きく変わってきます。人は論理的に考えますが、最後に人を動かすのは感情だからです。経営の目線のみに依って判断しても、人を動かすことはできません。

重要なのは、経営の目線で判断する、という前提のうえで、同時に、仲間たち一人一人のことを考えながらコミュニケーションすることだと考えています。私は「遠慮はせずに、配慮をする」という言葉をよく使いますが、ビジネスをより良くしていくためにしがらみなどを気にせず判断し、同時に、一人一人の気持ちや状況に配慮しながら伝え、同じ方向へ向かえるようにする。こうしたコミュニケーションによってチームの一体感が増しましたし、私も自信をもってリーダーシップを発揮することができました。

──人や組織と向き合ううえで、他に何か意識していたことはありましたか?

メルペイでは、組織内におけるバリューの浸透を目的とした「バリュー大臣」という役割も担当させていただきました。当時のメルペイでは、金融事業として、バックボーンが異なる仲間をまとめていくにはどうあるべきか。メルカリと同じバリューで良いのか、グループ会社としての文化をより強いものにしていくために、経営と対話を繰り返しながらバリューの浸透を目指していました。

バリューは、会社を経営するうえでとても大切な「共通言語」の一つだと思っています。この言葉たちは、様々な場面における共通の判断軸となり、みんなで迷わずに同じ方向へ進むための指針でもあります。この考え方は、Visionalグループ、トラボックスで働く今も変わりません。


背中を預け合える仲間たちと一緒に、物流の仕組みを、未来を加速させる。

──続いて、Visional、トラボックスに入社を決めるに至るまでの経緯について教えてください。

はじめのきっかけは、南(壮一郎)さん(Visionalグループ代表)からお声がけをいただいたことでした。そして、トラボックスにまつわる話を聞いて、自分にとっての原点である物流の世界に改めて挑戦したい、という想いが次第に強くなっていきました。

日々の生活において、物流を通っていないモノはありません。物流は、いわば「支えるを支える」「インフラのインフラ」ともいえる、とてもエッセンシャルな領域です。しかし、半世紀近くにわたって物流業界においては大きな変革が起きておらず、この構造をアップデートしなければ、物流の崩壊が起きかねません。その意味で、これはこの社会全体にとってとても重大なテーマであると考えています。

物流業界におけるテクノロジーの活用を推進することで、もっと業務を効率化して生産性を向上させ、同時に、働く場としての魅力を高めていく。そうした世の中にとってとても大きなテーマに対して、アプローチできる企業は非常に少ないと感じていたなかで、南さんを介して出会ったのがトラボックスでした。トラボックスは、物流業界をテクノロジーの力で変革させ続けてきた21年もの歴史を有しており、何よりも、お客様からとても愛されています。

何人ものトラボックスの社員と会い、お話しさせていただくなかで、「私が今までIT業界で積んできた経験を活かして、トラボックスをさらに大きく変化させたい。」「データとテクノロジーによって、物流のあり方・効率を根本から変えていきたい。」という想いが強くなり、そうした使命感をもって入社させていただきました。

──片岡さんは2021年1月に入社しましたが、実際に入社してみて、どのようなことを感じましたか?

入社前から、たくさんの社員に会って話しをさせてもらっていたので、大きなギャップを感じたことはありませんでした。改めて確信したのは、トラボックスは「お客様第一」の姿勢をぶらすことなく事業づくりを進めてきた、ということです。入社後、数多くのお客様に会いお話しさせていただくなかで、本当にお客様から深く愛されているサービスであると感じています。

──現在のミッションについて教えてください。

現在、入社4ヶ月目、代表取締役社長に就任してからは3ヶ月目ですが、1ヶ月目は、社内の仲間やトラボックスの文化の理解のためのディープダイブ。2ヶ月目は、お客様の理解のためのディープダイブ。3ヶ月目は、トラボックスの新しいロードマップの策定を行ってきました。このロードマップは、ここから始まる「第二創業期」の新しい戦略を描いたもので、具体的に言うと、市場/ターゲット設定、プロダクト開発、戦略設計、そしてそれを支える組織づくりに分類されます。

──今後の組織づくりについて、詳しく聞かせてください。

組織づくりを進めていくうえでのキーワードは、「トライ&ラーン」と「心理的安全性」です。

ロードマップを検討しているなかで、お客様との対話による仮説も絞り込まれてきています。今後はその検証を進めながら、組織として「トライ&ラーン」を推進していきたいです。「トライ&ラーン」とは、成功しても失敗しても、それを学習につなげることです。事業づくりを進めていくうえでは、たとえ失敗しても、それを学びに変えれば、その経験は今後のエッセンスになり得ますし、だからこそ、失敗を恐れずみんなで打席に立ってバットを振っていくことが重要になります。

そして、一人一人が得た学びを明らかにして、組織として共有していきたいと考えています。そのためにも、経営として担保すべきことは、「心理的安全性」を保つことです。トラボックスは、もともととても心理的安全性が担保されている組織です。だからこそ、この環境を保つことを一人一人がより強く意識することが重要であり、そうしていくことで失敗を恐れず挑戦することを推奨し、みんなで当たり前のように情報を共有する文化につながっていくと考えています。

情報の共有は、それぞれが「トライ&ラーン」から得た学びを事業づくりに活かすという意味においてだけでなく、一人一人がより自主性を発揮するためにも重要であると考えています。基本的に全ての情報をオープンにして共有し、情報格差が発生しないように仕組み化する。そのようにして、同じ価値観を持つ人が同じ情報を持つことで、誰でも同じ判断ができる組織にしていきたい。戦略を明確に共有し、価値観を判断基準とすることで、ルールで縛るのではなく、一人一人が自主性を発揮して同じミッションの実現を目指し、お互いに背中を預けながら成長していく。それが、私が考える理想の組織です。

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一緒に働くトラボックスの仲間たち。

──話を聞いていると、片岡さんが「仲間」や「チーム」に懸ける強い想いが伝わってきます。

メルペイの時の経験がとても大きいです。当時、それまでに自分がやったことのないことばかり挑戦させていただいていて、そうなると、常に自分がそれぞれの領域や局面において最も経験や知見を有しているわけではないんですよね。だからこそ、ディープダイブするのですが、同時に、私は「知らない」「分からない」をはっきり伝えることで、幸いなことに、いつもそれぞれの領域において強みを持つ仲間たちに助けられてきました。トラボックスに入社してからの数ヶ月間においても同じで、お客様も含めて、周りのみんなが支えてくれることに感謝しています。

これからは、私自身が常に学び成長しながらも、いつも支えてくれる仲間たちとワンチームで、同じ方向へ向けてより加速していける環境をつくりたい。Visional Wayの中に「事業づくりは、仲間づくり」というバリューがありますが、まさにこの言葉の通り、新しい仲間をつくり、そうした仲間たちが自主性をもって活躍できる環境を用意することが、私の大切な仕事の一つであると思っています。

私たちは、半世紀にわたって変わっていない業界に、大きな変化を起こそうとしています。その意味で、私たちが登ろうとしている山はとても高く、険しいかもしれません。だからこそ、これからも様々な経験や強みを持つ仲間たちと、背中を預け合いながらともに進んでいきたいです。

──本日は、ありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました!


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この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。

撮影:住岡 梓


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