全ての働く人が輝く未来のために。HRMOS事業部長 古野が、仲間たちと成し遂げたいこと。
今回は、HRMOS事業部の事業部長を務める古野了大さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、古野さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。
※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。
プロフィール
古野 了大/Furuno Ryodai
神戸大学工学部を卒業後、大手通信教育会社にて、新規事業開発やデジタル領域の教育サービス開発に携わる。2015年、株式会社ビズリーチ入社。「ビズリーチ」のサービス開発責任者を経て、現在は、HRMOS事業部の事業長を務める。
学生時代の自分を救ってくれた「教育」の世界へ。
──はじめに、幼少期や学生時代のお話を聞かせてください。
小さい頃から、何か不思議だと思うことがあると、その謎を解明することに夢中になっていました。例えば、身近なおもちゃや電卓がどういう構造になっているのか、なぜ動いているのかを確かめるために、よくネジを外して分解して遊んでいました。好奇心が強いという意味では、今の自分にも通じているかもしれません。
また、ものづくりにも興味を持っていました。親の教育方針でゲーム機を買ってもらえなかったのですが、段ボールを使って、自分のオリジナルのゲームを作って遊んでいたことを覚えています。
小学校高学年くらいの時に、親戚からお下がりのPCをもらってからは、BASIC言語でゲームを作ることに熱中していきました。本に掲載された文字列を入力しながらゲームを作っていたのですが、その過程を通してゲームの構造を解き明かすことができた気がして、とても興奮したのを覚えています。
──小さい頃からPCやプログラミングに慣れ親しんでいたのですね。インターネットとの出会いについては覚えていますか?
はい、中学生の頃、家にWindowsのPCが届いたのですが、ダイアルアップ接続をして、インターネットの世界に繋がった時のことを今でもはっきりと覚えています。
それまでは、学校と家の半径2キロくらいの範囲が自分の世界の全てだったのですが、インターネットに繋がった時、一気に視界が開けていくような感覚を覚えました。それまで地図上でしか見たことがなかった北海道に住む人とチャットでやりとりをしたのですが、テクノロジーの可能性に触れたような気がして、とても感動しました。
そこからどんどんPCやインターネットの世界に興味を持つようになりました。高校は、理数系のコースを選び、同じコースの友人たちとパソコン部を立ち上げたりしましたね。
──理数系のコースを選んだのは、なぜだったのでしょうか?
幼少期の頃から変わらず、物事の構造を解き明かしたいと考え続けていたので、中学2年生の時には既に理系の道に進むことを決めていました。高校に入学してからは、物理の世界に惹かれていき、その奥深さに迫るために夢中になって勉強しました。些細な自慢ですが、模試では大抵100点をとっていたように記憶しています。
──当時は、将来はどのような仕事をしたいと考えてましたか?
漠然と、ロボットを作りたいと考えていました。僕は、小さい頃から、祖母の家にあった手塚治虫の全集を読み漁っていたのですが、いくつかの作品の中に、心を持つロボットが登場するんですよね。作品が発表された当時は夢物語と思われていたかもしれませんが、僕はどこかで、近い将来、そうした技術が実現されるのではないかと考えていました。
その影響もあり、ハードウエアとコンピューターサイエンスの複合領域の勉強ができる神戸大学工学部情報知能工学科に進学しました。
在学中は、機械学習を専攻しました。授業でプログラミングもやっていたのすが、自分よりも遥かに高いスキルを持つ人たちがいることを知り、圧倒されてしまいました。その時から、単にプログラミングを極めることではなく、「その技術を使って何を為すのか?」について考えるようになりました。
もともとは大学院への進学を考えていましたが、次第に、テクノロジーの力で世の中を良い方向へ変えていく企業への就職を考え始めました。いろいろな業界について調べましたが、その中でも特に強い思い入れを持ったのが教育業界でした。
──なぜ、教育業界に強い思い入れを持っていたのでしょうか?
高校生の時、教育に救われた体験があったからです。
当時の僕は物理が好きだったのですが、テストの問題における「ただし摩擦は無いものとする」という前提がどうしても許せなかったんですよね。普通は、そこに疑問を持たないかも知れませんが、僕は「摩擦が無いなんてことはあり得ない!」といって、何度も先生を困らせていました。
そんなある日、その物理の先生が、「もし本当に摩擦がない世界だったらどうなるか一緒に考えてみよう」と声をかけてくれて、放課後、思考実験に付き合ってくれたのです。そこで先生と一緒に議論して考える時間が本当に楽しかったのを覚えています。逆に、もしあの時に先生が声をかけてくれなかったら、僕は物理への興味を失くしていたかもしれません。
何かに興味を持ったタイミングや、学びたいと思ったタイミングで、適切なサポートや情報があることで、人の人生は大きく変わり得る。この体験が、教育業界に強い思い入れを持った理由です。
また、僕が就職活動をしていた当時は、やっとインターネットのブロードバンド接続が浸透し始めた頃でした。当時の通信教育の教材は紙媒体が毎月郵送で送られてくるスタイルでしたが、近い将来、通信教育は、テクノロジーによって大きな変革を迎えると考えました。その変革に携わりたいと思い、ご縁があった大手通信教育会社に入社しました。
キャリアの礎となった「編集者」としての経験
──大手通信教育会社では、どのような経験を積んできたのでしょうか?
入社して最初の1年は、地学の模擬試験を作成する編集部に配属され、年間7本の制作を担当しました。
学生時代、僕は地学を履修していなかったので、執筆者と正しく会話ができるようになるため参考書を買って勉強しながら、同時に、誌面の構成を企画したり、デザイナーにレイアウトを依頼したり、印刷所の担当者と進捗管理の連絡をしたりと、複数の業務を並行して進めなければいけませんでした。
とても大変な日々でしたが、今から振り返ると、この「編集者」としての経験が自分の礎になっていると思っています。編集者時代にお世話になった上司に、編集者とは「集めて編む人である」と教えてもらったことを鮮明に覚えています。当時の僕は、時に自分の介在価値に迷うこともありましたが、編集者は、いろいろな人の力を集めるだけではなく、編んで新しい価値を生み出すことであると知りました。
今の働き方にも通じますが、ものづくりにおいては、自分一人だけで何かを作り出すことはできません。デザイナーやエンジニアなど様々な役割の人の力を借りながら、プロダクトやサービスを一緒に完成させていく仕事をしています。「編集者」としての考え方は、その後の僕のキャリアの礎となっています。その意味で、あの1年間は、自分にとって大切な期間だったと思っています。
入社して2年目からは、中学生向けのeラーニングサービスの開発プロジェクトに参加しました。おそらく日本の教育業界で初めての大規模で本格的なデジタル学習サービスの開発という特別なプロジェクトで、当時のメンバーは約20名。全社横断の研究開発チームに配属されました。
最初に課せられたテーマは、「与えられた予算内で年間12本の学習ゲームを作る」というものでした。担当者は自分一人だけ。「どのようなコンセプトでゲームを作るのか」「そこで動機付けした会員を、どのようにeラーニングサービスへの登録に繋げるのか」を、ビジネスとの接続を含めてゼロから考えました。
初めての取り組みだったので、社内にゲーム制作のノウハウが一切ありませんでした。どうにか形にするために、秋葉原にあるいくつものゲーム制作会社から何とか協力してくれる会社を見つけて、必死でリリースにこぎつけました。今になって思うと、本当に少ない予算で、制作会社にはいろいろな無理を聞いてもらいました。ただ、苦労の甲斐あって、リリースしてみれば大成功。サービス全体の利用率の改善につながって予想以上の成果を出すことができました。
教育の先にある「社会における人生選択」に携わりたい。
──前職時代、新規プロジェクトをはじめ様々なことにチャレンジしていた古野さんが、 転職を考えるようになったのはなぜだったのでしょうか?
実は、僕は強く転職を意識したことはありません。ただ、20代後半を迎えてから、一つの会社に所属し続けることへの漠然とした不安を感じていました。
見聞を広げるために、いろいろな業界の人に会って話を聞いたり、社会人勉強会を主催していました。そうした活動を通して、自分の次のキャリアについて見つめ直していたのですが、次第にHR業界への興味が強くなっていきました。
──HR業界に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
前職で、キャリア教育のサービスに携わる機会があったのですが、そのなかで2つの気付きがありました。一つは、小学生の将来の夢が「お花屋さん」や「アイドル」に集中するのは、知っている職業が限られているから。単純に「知らない」ことで、様々な選択肢や可能性が途絶えてしまっているのです。
もう一つは、不確実性の高い社会においては、決められたゴールに向かって一律の教育を提供するだけでは不十分だということです。今後、社会の変化のスピードも加速し、誰も予想もできない未来が来ることは間違いない。そういう社会で生き残るため、自分自身で課題を発見して解決していくことができる人を輩出し、後悔ない人生選択をしていくための力を身につけるサポートをすること。それこそが、教育のあるべき姿ではないかと思い始めるようになりました。
大人が子供の進むべき道を決めて、カリキュラムに則って知識を教え込むだけではいけない。長い人生においては、いろいろな人との出会いや新しい挑戦を含めて、全てが学びになる。そのように自分の教育観が変化した時に、教育の先にある「社会における人生選択」に興味が湧いてきて、HR業界を意識するようになりました。
──ビズリーチに入社するまでの経緯について教えてください。
2015年の夏頃、いつもの通り自分の見聞を広げるためにいろいろな会社の人と話していくなかで、ビズリーチと出会いました。「インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げていく」という(当時の)ミッションは、まさに、自分の教育観や、社会における人生選択についての想いとシンクロするものでした。
また、実際にいろいろな社員とお会いしたのですが、世の中の課題解決のために真剣に事業に向き合っている姿が印象的でした。僕自身、働く上で、自分や自分の家族が幸せになるサービスを作ろうと考えていたので、ビズリーチが大切にしている「価値あることを、正しくやろう」というバリュー(価値観)にも強く共感しました。そして、働くことを通して、そうしたバリューを体現する人たちと一緒に挑戦したいと思い、入社を決めました。
企業と働く人を、テクノロジーの力で支援する。
──古野さんは、2015年11月にビズリーチへ入社されましたね。
はい。はじめは、ビズリーチ事業部で、ビジネスパーソン向け(BtoC)のサービスを担当するプロダクトマネージャーとして働き始めました。それから少しずつ、採用する企業向け(BtoB)の領域も担当するようになりました。
そして2017年5月から、それまで一部兼務として携わってきたHRMOS事業部の事業長を務めることになりました。当初は「HRMOS採用」のみでしたが、現在は「HRMOS CORE」「HRMOS評価」なども含めたHRMOSシリーズ全体を統括しています。
──HRMOSシリーズを通して実現したいことについて、簡単にご説明をお願いします。
企業が人を採用する理由は、ただ単に人数を増やしたいからではありません。採用は、その人が入社することで、「会社を変革させたい」「事業を成長させたい」という願いから始まっているはずです。それを実現するためには、入社した方が活躍してもらうことに尽きると考えています。
そのためにまず大事になるのが、全ての「入口」となる採用時の候補者体験です。例えば、面接の際に、面接担当者がすごく横柄な態度を取っていたら、その時点で候補者体験としては悪くなってしまいますよね。「HRMOS採用」では、それぞれの面接官が対応した候補者の辞退率をデータとして可視化することができます。企業側は、そのデータをもとに面接官トレーニングを実施したり、採用フローを見直したりすることで、候補者体験の改善をすることができます。
また、今後労働人口が減っていく社会では、生産性を高めること、つまり一人一人の従業員に最大限のパフォーマンスを発揮してもらうことがより一層重要になってきます。
「HRMOS CORE」「HRMOS評価」は、入社後の従業員体験の向上を目指すサービスです。その会社との出会いから、入社、活躍、退職までを一つのライフサイクルとして捉え、一つ一つの人事施策を設計していく。僕たちHRMOS事業部は、そのための基盤となるシステムを提供したいと考えています。
従来の人事システムは、企業側が働く人を「管理する」という思想のものが多かったのですが、HRMOSシリーズは、企業側だけではなく、その会社で働く人にフォーカスしています。そして最終的には、全ての働く人が活躍できる未来の実現を目指しています。
──HRMOSシリーズは、BtoB領域のSaaSモデルのサービスです。それまで「ビズリーチ」に携わっていた古野さんにとっては、新しい挑戦だったのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
この事業には、まさに商売の本質が詰まっていると思っています。使い続けていただくことを前提としたビジネスモデルなので、お客様に満足し続けていただく必要があります。提供したサービスがお客様に満足していただけなくなったら、すぐに契約を解除されてしまう。そのため、対価以上の価値を提供し続けなければいけないし、同時に、サービスを進化させ続けなければいけない。
だからこそ、HRMOS事業部として大切にしているのは、一人一人がお客様を正しく理解することです。BtoCのサービスは、膨大なユーザーと対峙するので、マクロな観点で改善していくことが多いと思いますが、BtoBの場合は、一人一人のお客様の顔を見ながらサービスを磨いていくことが重要になります。
お客様とコミュニケーションをする過程では、今まさに困っていることや、担当者の方の熱い想いなどが直接伝わってきます。セールス担当者がそうした話を伺うのはもちろんですが、エンジニアやデザイナーが打ち合わせに同行したり、実際に利用いただいているお客様とユーザー会で交流して直接お話を伺う機会も多くつくっています。ものづくりの人たちが直接コミュニケーションすることで、お客様が本当に求めているものを理解できるようになるし、向き合っている課題を解決することで、その人を幸せにしたいという想いが強くなると思っています。
また、定例のミーティングでは、職種にかかわらずメンバー全員で、それぞれのお客様が向き合う課題の進捗状況について共有しています。お客様の課題を事業部で一丸となって解決した時には、みんなで一緒に喜べる文化がある点は、この事業部の大きな特徴かもしれませんね。
HRMOS事業部で書き初めをした時の一枚
他でもない自分たち自身が、輝きながら働ける組織にしたい。
──古野さんがHRMOSシリーズに携わるようになってから約3年が経ちました。このサービスへの想いを聞かせてください。
僕は、「人が活躍する未来は、企業が人を活用する未来」というHRMOSの初期のコンセプトがとても素敵だなとずっと思っていて、そうした全ての働く人が輝く未来を実現するために、日々、仲間たちと仕事に打ち込んでいます。
多くのビジネスパーソンにとって、人生の中で一番多くの時間を過ごしているのは「働く」時間といっても過言ではありません。だからこそ僕は、前職の時から、みんながもっと働くことを楽しむことができたらいいのにと考えていました。自分の強みを活かして、やりたいことに取り組める、挑戦できるかどうかは、豊かな人生を目指すうえで本当に大切なことだと思っています。
後ろ向きな気持ちで働くことと、自分らしくいきいきと働くことでは、同じ「働く」であっても全く異なりますよね。僕自身、いつも後者でありたいですし、自分の子どもが大きくなった時に、働くことに夢を持てる社会にしたいと思うんです。そしてHRMOSシリーズは、全ての働く人が輝く未来を実現できるサービスであると、強く信じています。
──一緒に働くHRMOS事業部の仲間たちへ伝えたいことはありますか?
自分たちの働き方をメタに捉えて欲しい、と思っています。実際に「働く人が活躍することとは、いったいどのようなことであるか?」という会話は、ものづくりの現場でもよく出てきますが、まずは自分たち自身がそのことを考え続けなければならないと思っています。
もちろん、そこに明確な答えはないので、100人いたら100通りの答えがあって然るべきかもしれません。みんなで議論しながら、全ての働く人が輝く未来の実現に向けて、一歩ずつ進んでいきたいです。
そして何より、他でもない僕たち自身が、輝きながら働くことが大事だと思っています。HRMOS事業部は、自分たちが考えた「働く人が輝く未来」を、真っ先に実現できる場所です。それだけではなく、自分たちの会社を越えて、世の中全体を変えることができる可能性があります。そうした可能性を信じる仲間たちと一緒に、これからもHRMOSシリーズを進化させ続けていきたいです。
──本日は、ありがとうございました!
こちらこそ、ありがとうございました!
この記事の執筆担当者
松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。
関連記事
「All Visional」Twitterアカウントは、こちら。