見出し画像

エンジニアとして、ビジネス領域へ「越境」する。Visionalで、新しい事業を成長させる原動力となる人材を目指す。

今回は、2015年4月にエンジニア職として新卒入社し、現在は、株式会社ビズリーチのHRMOS事業部所属の田所駿佑さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。

半生を振り返りながら、田所さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。


プロフィール

田所 駿佑/Tadokoro Syunsuke
神奈川県相模原市出身。立教大学社会学部を卒業後、Web制作やコワーキングスペース運営を経験。2015年、株式会社ビズリーチにエンジニア職として新卒入社。求人検索エンジン「スタンバイ」のWebクローラー開発や、広告データ基盤の整備に携わる。2019年からはHRMOS事業部にて、従業員サーベイアプリケーションの開発などを担当。「ScalaMatsuri」スピーカー(2019年/2020年)。翔泳社「クローリングハック」共著。一児の父。


画像1

9ヶ月の頃。商売人の家系で生まれ育つ。


受け継がれた商売一家のDNA

──はじめに、幼少期や小学生の頃のお話を聞かせてください。

神奈川県相模原市で生まれ育ちました。父はもともと料理人で、僕が生まれた頃には、祖父の代から続くスナックを経営していました。小さい頃から、仕込みの手伝いをしながら、父の働く姿をいつも見ていました。

定休日は火曜だけだったのですが、父は休みの日も料理の勉強をしていました。一生懸命に仕事に打ち込む父の背中から、好きなことをとことんやることの大切さを感じ取っていました。

祖父や父だけでなく、親戚に自分で会社や事業を立ち上げている人が多く、その影響もあって、幼少期から商売に強い興味を持っていました。4歳の頃、家の近所の空き地で野良猫を捕まえた時、自分も商売に挑戦してみたいと思い、その猫を「100円」と書いた段ボールに入れて、近所の道端で売ろうとしました。人通りもそれなりにあって、「かわいい猫だね」と声をかけてくれる方はいたのですが、夕方になっても売れず、悔しくてめちゃくちゃ泣いたのを覚えています。

少し大げさな言い方かもしれませんが、今思えばあれが僕にとって、初めて「マーケット」と対峙した経験なのかなと思います。あの時に、「誰かに求められているもの」を提供することで、初めて商売が成立することを学びました。あの経験は、自分の原点だと思っています。

小学5年生の時には、僕が木材を削り出して作った輪ゴム鉄砲を、クラスの男子に「輪ゴム5個」を対価に売っていました。小学生ながらにエクセルで価格表や売れた個数を管理していました。多くの人が「譲って欲しい」と集まるほど人気が出たことも嬉しかったのですが、みんなが楽しそうに輪ゴム鉄砲で遊んでくれたことに、何よりも大きな喜びを感じました。

──他に、小学生の頃に夢中になっていたことはありますか?

低学年の頃にエジソンの伝記を読んだことがきっかけで、ものづくりに夢中になっていました。図工の授業も大好きでしたね。小学3年生の時に、ポケットティッシュを整理するオリジナルの箱が、市の発明コンクールに入賞して以来、毎年のように、オリジナルの道具を作って、何かしらのものづくりのコンクールに出品していました。

──中学校に入って以降は、どのようなことに打ち込んでいたのでしょうか?

部活でサッカーをしていたのですが、ある時、練習中に怪我をしてしまいました。その治療中に友達に、いろいろな音楽を教えてもらい、それをきっかけにギターを始めました。高校で軽音部に入って、大学ではバンドでオリジナルの曲を作ってライブをしたり、配信したりしていました。

バンド活動は、曲を作るという意味で広義のものづくりですが、同時に、活動を継続させることは、商売にも近いと感じていました。お客さんを集めるための方法を考えたり、リピーターを増やすためにライブの演出を工夫したり、成功した施策もあれば失敗したものもありましたが、一つ一つ試行錯誤を積み重ねながら活動を前進させていく経験は、とても楽しいものでした。

画像2

高校生の頃、父親と地元の夏祭りで神輿を担いだ時の一枚。

──エンジニアリングとの出会いについて教えてください。

きっかけは、大学3年の頃、先輩に誘われてWeb制作会社でインターンとして働き始めたことでした。人数の少ない会社だったので、自分でいろいろな会社に営業しながら仕事を増やしていきました。

はじめはマークアップエンジニアとしての仕事からスタートして、少しずつWebデザイナーに近い仕事も担当していきました。いろいろな企業のコーポレートサイトやキャンペーンサイトなど、多種多様な案件を担当しながら、少しずつ自分のできることの幅を広げていきました。

いろいろな知識を身に付けていく過程で、「こういう表現はこうやって実現されているのか!」と驚くことや感動を味わうことも多く、どんどんWebの世界の奥深さに惹かれていきました。

はじめは、ビジネスパーソンとしての経験を積むために、大学を卒業した後は、内定をいただいていた企業に総合職として入社しようと考えていたのですが、次第にエンジニアとしての道に進みたいという想いが強くなり、大学卒業後も、2年間そのインターン先の会社で働きながらエンジニアリングの経験を積みました。

──ビズリーチに入社するまでの経緯について教えてください。

ある時、お世話になっていた知人からビズリーチを紹介してもらったことがきっかけでした。当時は、会社自体や「ビズリーチ」サービスについては深く認識していなかったのですが、IT・Webエンジニアのコラボレーションツール「codebreak;(コードブレイク)」(現在はサービス終了)のヘビーユーザーだったので、強く興味を持ちました。このサービスを作る会社は、きっとエンジニアリングに強いこだわりがあるだろうと思ったのです。

また当時、エンジニアとして働きながら、しっかりとビジネスの仕組みを学びたいという気持ちもありました。いろいろな人に相談するなかで、今まさに成長中の会社に入ることが、ビジネスを学ぶ一番良い方法であると思いました。面談や面接でビズリーチの社員たちと話したのですが、職種を問わず、みんなが共通して「事業づくり」について語る姿に惹かれ、入社を決めました。


プロダクトオーナーへの挑戦、そして挫折。

──田所さんは、2015年にエンジニア職としてビズリーチに入社しましたね。入社から現在に至るまでの変遷について教えてください。

入社後、最初に配属されたのはスタンバイ事業部(現在は、Visionalグループの株式会社スタンバイが運営 ※ビジョナル株式会社とZホールディングス株式会社の合弁事業会社)でした。

ビズリーチに入社するまではWebデザインに近い仕事を数多く担当していたので、Webクローラー(Webの情報を収集するシステム)を作るのは初めてでした。ゼロから学びながらキャッチアップしていったので、はじめの数年間は、辛く大変なこともたくさんありました。

ただ、中途半端に経験や知識を持っていたWebデザインの領域ではなく、自分にとって全く新しい領域に挑戦する機会を与えてくれた会社には感謝しています。

数年間、バックエンドエンジニアとしての経験を積み、2018年には、プロダクトオーナーに挑戦する機会をいただきました。ただ、初めての挑戦で躓くことが多く、あの頃の自分は、事業の成長に寄与できていなかったと思っています。技術的観点にもとづく提言はできたものの、中長期的なビジネスとの接続の領域の話になると、まったく自分の介在価値を発揮できずにいました。

そして、プロダクトオーナーとして、「どういう姿を目指していくべきか」「どの領域に注力するべきか」という方向性をしっかり示すことができないまま、目先のコスト削減ばかりに頭がいってしまいました。あの時の僕は、効率化という発想に囚われてしまっていて、スタンバイ事業が勝つための施策を考えることが全くできていませんでした。

あの頃を振り返ると、本当の意味で「自走」できていなかったと思っています。周りには、多田(洋祐)さん(現:株式会社ビズリーチ 代表取締役社長)や山本(敏史)さん(現:株式会社スタンバイ COO / 事業責任者)や(竹内)真さん(現:ビジョナル株式会社 取締役 CTO)をはじめ、豊富な経験を持つ方たちに囲まれていたにもかかわらず、そうした方たちに素直に甘えることができませんでした。

今思うと、真の意味での「自走」とは、仲間たちの力を借りてでも走り続けることなのだと思いますが、当時は結局、プロダクトオーナーとしての責務を果たすことができませんでした。

ただ、真さんや多田さんから声をかけてもらったことで、次の挑戦に向けて気持ちを新たにすることができました。

──その時に、真さんや多田さんとどのような話をしたのでしょうか?

真さんから、「自分では失敗だと思っているかもしれないが、創業メンバーたちは、これまでに何度も、もっと大きな失敗をしてきた」「今回の経験を、次の挑戦につなげればいい」「次は君がこうやって後輩をサポートしてあげてほしい」という話をしてくださりました。

あの時、ビズリーチは、良い意味で失敗に寛容な会社であることを感じました。「挑戦を評価する」会社であるということは頭では分かっていましたが、身をもって実感したのがあの瞬間でした。

多田さんからは、「真剣なのはいいけど、深刻になる必要はない」と声をかけていただき、その言葉に救われました。


新しい仲間たちが、自分らしく輝ける環境を作りたい。

──その後、田所さんは、入社してから初めての大きな部署異動を経験しましたよね。

はい。2019年から、現在のHRMOS事業部で働いています。

スタンバイ事業部では、HRMOSのようなWebサービスとは性質が大きく異なるプロダクトを作っていたので、キャッチアップできるか不安でした。ただHRMOS事業部は、職種ごとの体系的な従業員オンボーディングプログラムがしっかり整備されていて、スムーズにキャッチアップすることができました。

前提知識となる人事領域についての座学があったり、ペアで理解を深め合う機会があったり、また、実際に法人のお客様と向き合うビジネス開発職の仲間によるコンテンツも用意されていました。このオンボーディングプログラムの完成度と、常に更新され続けていく仕組みに感動して、自分も、新しくジョインする仲間に同じような体験を提供したいと思いました。

画像3

HRMOS事業部のミーティングの様子

──HRMOS事業部が、オンボーディングプログラムの構築に注力している理由について、田所さんはどのように考えていますか?

僕たちが提供しているプロダクトは、「自律的に成長し続ける組織と個人」を支援するものです。この価値を顧客に提供するためには、まずは自分たちがチームや自身の成長に真剣に向き合うことが前提になります。オンボーディングプログラムの整備もその一環と捉えているからこそ、プログラムの整備に部署全員の意識が自然と向いているのかもしれません。

最近では、今年にプログラムを受けた新卒入社の仲間が、今度はプログラムを実施する側として仕組みの改善をリードしています。他にも、何名もの仲間たちが、プログラムのチューターを担当しています。

また、こうしたオンボーディングプログラムの実施が、プロダクトのコードを洗練させることにつながっていると実感しています。新しくジョインした仲間に既存のコードについて説明していると、時に設計について、「プロダクトが育っていく過程で、過去のソリューションでは問題が解けなくなっているな」「逆に、過度に高度なソリューションで日々の問題を解いてしまっているな」といった気付きを得ることがあります。

新しい仲間にプロダクトのコードを「道案内」することは、そのようなオーバーエンジニアリング、アンダーエンジニアリングといった、課題と解決手段の不一致を発見する大きなチャンスになります。道案内をするにあたって、僕たちはいつもの開発モードを離れ、フラットな目線でコードを見ることができるからです。

結果、僕たちが向き合っている課題についての認識をアップデートしたり、課題と解決手段がマッチしているかを再確認することができます。その意味で、オンボーディングプログラムは新しくジョインした仲間のためだけでなく、チーム全体のためになるプロセスでもあると考えています。この話は、先日の「ScalaMatsuri2020」でもお話しさせていただきました。(※発表内容「Onboarding Process for Scala Team」はこちら

──HRMOS事業部には、他の部署から異動してきた仲間や、新しくキャリア入社してきた仲間だけでなく、新卒入社の仲間も数多くジョインしていますよね。

はい、先程のオンボーディングプログラムは新卒入社の仲間にも対応しています。僕自身が新卒でビズリーチに入社したこともあり、また、僕自身リクルーターを担当することもあるので、新卒の後輩たちには、特に強い思い入れがあります。

一社目としてVisionalを選んでもらったからには、その選択を後悔のないものにしたいし、新しい仲間を受け入れる側としての責任も持ちたいと思っています。

もちろん、HRMOS事業部だけではなく、Visionalには、新卒として入社した新しい仲間を大切にする文化が浸透していると思っています。Visionalは、全社一丸となって採用に取り組む会社であるからこそ、「一社目として選んでくれた新卒入社の仲間のキャリアに、しっかり責任を持ちたい」「どこへ行っても活躍できる人になって欲しい」と本気で考えている人が多いのだと思います。

事実、僕自身も、そうした想いを持った先輩や上司に救われてきました。だからこそ、次は自分が後輩たちの力になりたいし、また、真さんや多田さんをはじめとする創業メンバーと、新しい世代の新卒入社の仲間をつなぐ「架け橋」としての役割も担いたいと思っています。


画像4

2020年5月に生まれた息子との一枚


ビジネスの本質を学びながら、新しい事業を成長させる原動力となる人材を目指す。

──田所さんがHRMOS事業部に異動して約2年が経とうとしています。田所さんは、HRMOSシリーズについて、どのような想いや考えを持っているのでしょうか?

僕は、小さい頃から、夢中になって仕事に打ち込む父の背中を見てきましたが、大人になってから、世の中には、働くことに前向きになれない人もいることを知りました。HRMOSシリーズは、「全ての働く人が輝く未来」を実現できるサービスであると強く信じているからこそ、これからもこの事業の発展のために力を注いでいきたいと思っています。

また、HRMOSシリーズは、BtoB SaaSであることが、自分にとって大きなポイントであると思っています。法人のお客様のお困りごとを解決すること、期待に応え続けることによって、収益を上げるモデルだからこそ、「課題解決」に真正面から取り組むことができる。それが僕がBtoB SaaSを本当に好きな理由です。

この領域では、一発当てたからといって勝者になることはできません。お客様が抱える課題と向き合いながら、日々、懸命にサービスを進化させ続ける者のみが、お客様から継続的に感謝と期待をいただき、その結果として収益を上げることができると思います。

その意味で、BtoB SaaSは、お客様のために「価値あることを、正しくやろう」というVisionalのバリューと深く通じるものがあると思っています。僕自身、このバリューに強く共感しているからこそ、誇りとやりがいを持って開発に打ち込めていると感じています。

──最後に、今後Visionalで挑戦したいことを教えてください。

今はHRMOS事業部で新しいサービスの開発に取り組んでいますが、いつか、立ち上げフェーズの事業に挑戦したいです。

また、エンジニアとして技術に軸足を置きつつも、ビジネス領域に「越境」しながら、事業を成長させるためのスキルや知識を身に付けていきたいです。そのなかでは、泥臭いことや大変なことも多いかもしれませんが、一つずつ経験を積みながら、いつか、新しい事業を成長させる原動力となる人材になりたいです。Visionalは、次々と新しい領域の課題解決に挑んでいるからこそ、そうした人材を目指すための挑戦の機会が多いと思っています。

──本日は、ありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました。


この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。


関連記事


「All Visional」Twitterアカウントは、こちら

「VISIONAL ENGINEERING」Twitterアカウントは、こちら


この記事が参加している募集