懸命に泳ぎ続けてきた青春期。これからは、仲間たちと一緒にさらに遠くを目指す。
今回は、2019年4月にビジネス職として新卒入社し、現在は、株式会社ビズリーチの新卒事業部所属の松本恵実さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、松本さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。
※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。
プロフィール
松本 恵実/Matsumoto Megumi
山口県下関市出身。大阪大学法学部国際公共政策学科を卒業後、2019年4月に新卒で株式会社ビズリーチに入社。ビズリーチ事業部とHRMOS事業部のインサイドセールス担当を経て、2019年8月に新卒事業部に配属。ビジネス開発職として、OB/OG訪問ネットワーク「ビズリーチ・キャンパス」の新規開拓営業を経験した後、現在は、既契約企業様の採用成功を支援するために採用戦略やサービス活用方法をご提案しながら、新サービスの立ち上げに従事。
青春の全てを、水泳に懸けてきた12年間
──今回は、松本さんのこれまでの人生を遡りながらお話を聞かせていただきます。
よろしくお願いします!
──まず、幼少期や学生時代のお話から聞かせてください。
生まれてから高校を卒業するまで、山口県で育ちました。3つ上の兄がいて、小さい頃はよく一緒に遊んでいました。家の裏の山に秘密基地を作ったり、アウトドアな遊びが多かったですね。
──子供の頃、何か夢中になっていたことや、熱中していたことはありましたか?
兄が水泳を習っていて、その影響で、幼稚園に通っていた頃から水泳に興味を持っていました。小学校に入ったタイミングで私も水泳を始めて、毎日のようにスイミングスクールに通っていました。
一度何かを始めると熱中するタイプで、水泳中心の日々を過ごしました。両親の理解やサポートがあったおかげで、とことん水泳に打ち込むことができたと思っています。
──水泳は、ずっと続けていたのですか?
実は一度、高校進学のタイミングで水泳をやめようかなと考えたこともありました。ただ、高校に入学した時に、水泳部の顧問の先生から「もう一度、水泳をやってみないか」とお誘いを受けました。その時は他の部活も検討していたのですが、やはり、小さい頃からずっと熱中し続けてきた水泳以上に好きなものは他にないと思い、水泳部に入りました。
それからは、中学までのように個人のベストタイム更新を目指すだけではなく、部員を探したり、そうして集まってくれた仲間たちとチームとしての目標を追いかけるようになりました。初心者も多かったので、まずは、みんなが水泳を楽しむことができるように、それぞれのメンバーの経験に合わせた練習メニューを提案したりしましたね。
そして次第に、どうしたらチームとしての成果に繋がるのかを考えるようになっていきました。中学までは、与えられたメニューをこなしていく練習が中心でしたが、チームで目標を追うとなると考え方は大きく変わりましたね。
結果的に高校時代は、一人で泳いでいた時よりも、水泳とストイックに向き合うことができた気がしています。自分一人だけだと、どうしても甘えが出てしまうこともありますが、自分がチームの一翼を担っていると思うとそうはいきませんから。何よりも、仲間と一緒に目標を達成したいという想いが、大きなモチベーションとなりました。
毎日のように泳ぎ続けた学生時代。
──水泳との向き合い方も変わってきたのですね。
はい。ただ、高校3年生の時、目標としていた大会を目前に足を怪我してしまいました。私にとって、それまでにないほど大きな挫折経験でしたが、残りの高校生活は大学受験に専念することに決めました。
──当時、大学では、どのようなことを学びたいと考えていたのでしょうか?
国際協力に興味を持っていました。
きっかけは中学2年生の時で、今では笑い話ですが、自分の手のひらの生命線が短いことに気付いたんです。当時は、「早死にしてしまうのではないか」と深刻に受け止めて、これから先の人生をどう生きるべきかを考えました。
その時は、「毎日の生活の中で、生きててよかったと思える瞬間が一つでもあれば、この人生に意義があるのでは」と結論付けたのですが、そう考えていた時期に、世界には、困窮した暮らしの中でそうした生きがいを感じるのが難しい人たちがいることを知りました。そして、国際協力という分野に興味を持つようになったのです。
大学受験をする時は、将来国際的に働くことを見据え、政治や経済などをバランスよく学べる大学や学部を自分なりに調べて、大阪大学に絶対に行くと決めました。
「世の中の変革を支えたい」と本気で考える仲間と働きたい
──大阪大学に入学した後は、どのように過ごしたのでしょうか?
大学に入ってからも水泳を続けようと思っていたのですが、足の怪我が悪化してしまい、諦めざるを得なくなってしまいました。
同じ時期に、国際協力のボランティアにも参加しました。ただ、実際にいくつかの国に足を運んでみて感じたのは、ボランティアという性質の活動を持続させていくことの難しさでした。参加者の自発的な協力や寄付によってボランティア活動が続いていること自体はとても素晴らしいことだと思いますが、それが持続的なビジネスの仕組みと結びついていないことに違和感を抱いたのです。
この2つの出来事が重なったことで、それまでの人生の中で一番モチベーションが下がってしまいました。そんな時、たまたま友人から、「大学生協のインターンを一緒にやらないか」と誘われました。軽い気持ちで参加し始めたのですが、いざやってみると、自分でアイデアを考えて、施策や仕組みとしてアウトプットしていく過程がとても面白くて、何より、チームで一丸となって、一人ではできないことを成し遂げることに、とても大きなやりがいを感じました。あの時は、水泳以外に夢中になれるものが見つけることができたと思い、とても嬉しかったですね。
大学2年生の時、スペインのサグラダ・ファミリアを訪れた時。
──就職活動の時は、将来のキャリアについてどのように考えていましたか?
もともと国際協力に興味を持っていたことと関係しているのですが、将来は、世の中の課題を解決できるような仕事をしたいと考えていました。もっと言うと、そうした仕事が、持続的なビジネスの仕組みと結びついている企業を探したいと思っていました。
ただ、どのような企業が一番自分に合っているかは、事業内容だけでは判断できないと思っていたので、「どのような人と一緒に働くか」という軸を持って、いろいろな企業を調べたり、話を聞きに行ったりしていました。
──ビズリーチを知ったきっかけについて教えてください。
大学3年生の12月、友人に紹介されて参加したキャリアイベントで知りました。そこで、ビズリーチは、テクノロジーの力を活用することで、HR業界をはじめ、様々な業界における課題を解決する企業であることを知り、強く興味を持ちました。
何より惹かれたのが、ビズリーチで働く社員でした。インターンに参加して気付いたことは、この会社には、働くことを前向きに楽しんでいる社員が集まっていること。そして、誰もが「世の中の変革を支えたい」という強い意志を持っていることでした。選考の過程で話した社員たちも、自分の想いやこの会社で成し遂げたいことを語ってくれて、いつしか、この人たちと一緒に働きたいと思うようになりました。
──ビズリーチから内定が出た後、残りの学生生活をどのように過ごしましたか?
いくつかの長期インターンに参加していました。その中でも、自分の進路を改めて考えるきっかけがあり、それが、「未来のイノベーターを育てる」というコンセプトの大学生向けプログラムのインターンでした。
4年生のある日、偶然Facebookでそのインターン情報を見て、直感的に「これだ!」と思い、すぐに参加の申込みをして大阪から東京へ引っ越しました。学生向けプログラムの事務局という立場での参加でしたが、自分と同じ「学生」の未来のキャリアのために貢献できることが嬉しくて、どんどん熱中していきました。
当時、既にビズリーチから内定をもらっていたのですが、このインターンにもう少し関わっていたいという想いが生じて、すぐに、ビズリーチで自分の採用を担当してくださっていた人事のやなみきさん(柳澤未来さん)に相談しに行ったのです。その相談が、大学卒業を数ヶ月後に控えた12月末頃だったのですが、その時もすぐに決断することができず、何度も思考の整理に付き合ってもらいました。あの時、やなみきさんが、私の将来を想いながら寄り添い続けてくれたからこそ、また、あくまでも客観的にアドバイスをくださったからこそ、私は、ギリギリのタイミングまで考え抜くことができたのだと思っています。
お正月には、やなみきさんから「いろんな人から話を聞いて、迷うことはあると思うけど、私はめぐちゃんのサポーターであり続けるので!」というメッセージをもらいました。そして、もう一度相談の時間をもらってお話しする中で、改めて、自分がビズリーチで成し遂げたいことが少しずつ明確になりました。何より、この人がいる会社で一緒に働きたいと強く思いました。
入社後、やなみきさんに「迷いを乗り越えて飛び込んでくれためぐちゃんは、その分強くなっているし、この先のあらゆることも乗り越えて、さらに遠くへと進んでいけると信じてます。」というメッセージをもらえたことがとても印象に残っています。
また、入社してからたくさんの社員と一緒に仕事をするなかで、この会社には「世の中の変革を支えたい」と本気で考える目的志向の強い人が集まっていることを改めて感じました。その意味でも、徹底的に考え抜いて選んだこの道は、決して間違いではなかったと感じています。
やなみきさんに、入社をお祝いしてもらった時のケーキ。
事業部長や仲間たちと、新規サービスの立ち上げに挑戦
──入社研修を経て、松本さんは、OB/OG訪問ネットワーク「ビズリーチ・キャンパス」を運営する新卒事業部へ配属されましたね。
はい、希望していた部署だったので、とても嬉しかったです。
──先ほど松本さんは、「ビズリーチで成し遂げたいことがある」と言っていましたが、新卒事業部を希望していた理由について教えてください。
もともと「世の中の課題を解決する仕事に携わりたい」という軸を持っていて、その中でも、まずは、新卒採用市場という領域における課題解決に挑戦したかったからです。私自身、少し前まで「学生」であったからこそ、当事者意識をもって仕事に打ち込めると考えていました。
──配属から現在に至るまでの約1年間で、どのような経験を積んできたのでしょうか?
はじめの半年は、ビジネス開発職として「ビズリーチ・キャンパス」の新規顧客開拓をミッションとしていました。その後は、導入企業様向けに採用戦略やサービス活用方法をご提案しながら、企業様の採用成功を支援する役割を担いました。
2020年4月からは、新規サービス立ち上げプロジェクトに挑戦する機会をもらいました。「ビズリーチ・キャンパス for 海外大生」という、海外の大学に通う学生と日本で新卒採用を行う企業様を繋ぐサービスの実現に向け、事業部長の小出(毅)さんたちと一緒に日々奔走しています。新規サービスの立ち上げに携わるのが初めてだったので、毎日のように壁にぶつかっていますね。
──そうした壁にぶつかるたびに、松本さんはどのように乗り越えようとしているのでしょうか?
日次、週次、月次ごとに、今の自分に何ができていて、何ができていないかを言語化し、高速でPDCAを回していくようにしています。自分の力だけで解決できないことについては、同じ部署の先輩や仲間に相談したり、とにかく本を読んで解決策を見出してきました。新規サービスの立ち上げに向けてすべきことは非常に多いので、いかにスピード感をもって目の前の壁を乗り越え、一歩でも前に進めるかが勝負だと思っています。
入社したばかりの頃は「成長したい」と思っていて、それは今も変わらないのですが、今から思えば、そう思っていられた頃はまだ余裕があったと思います。この数ヶ月は、むしろ、成長し続けないと一歩も前に進めないという焦りを感じていますね。
──そのプロジェクトにアサインされたタイミングで、松本さんは社会人2年目に突入しましたが、今の心境を教えてください。
成長のための機会に恵まれていると思う一方で、あまり年次を気にしすぎたくないと考えています。私が何年目であろうとお客様からしたら関係のない話で、私がやるべきことは変わりありません。だからこそ、年次を言い訳にはしたくない。やると決めたからには、目の前の課題を解決するために最大限バリューを発揮し続けるのみだと思っています。
一緒に働く新卒事業部の仲間たちとの集合写真。
──今後のキャリアについてどのように考えていますか?
私のキャリア観としては、「山登り型」よりも「筏下り型」に近いと思っていて、「いつまでに何をする」といった明確なキャリアプランを定めているわけではありません。いずれにせよ、今は配属2年目でまだまだ道半ばなので、引き続き、新卒事業部で経験を重ねていきたいと思っています。
また、新卒採用市場で働く中で、「ビズリーチ・キャンパス」が価値を提供できる領域は、これから更に広げていけると感じています。先ほどお話しした海外の大学も、その新しい可能性の一つです。だからこそ、事業部の仲間たちと一緒に、このサービスの拡大に向けて、これからも全力で挑戦し続けていきたいですね。
──本日は、お時間をいただきありがとうございました!
こちらこそ、ありがとうございました!
この記事の執筆担当者
松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。
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