目指すのは、ビジネスとデザインをつなぐ「架け橋」のような存在。
今回は、2019年4月にデザイナー職として新卒入社し、現在は、株式会社ビズリーチのデザイン本部コミュニケーションデザイン室所属の友清実優さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。
半生を振り返りながら、友清さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。
プロフィール
「誰と一緒にやるか」の大切さに気付いた学生時代。
──はじめに、幼少期や学生時代のお話から聞かせてください。
自分ではあまり覚えていないのですが、幼稚園の頃、運動会のリレーで走っている時に、観客席にいた両親を見つけて立ち止まって手を振ったらしいんです。他の子と比べると、競争心があまりないタイプだったという話を、大人になって母から聞きました。
誰かに勝つということ自体に対して執着心を持たない性格は、今も昔も変わっていないと思います。
負けず嫌いとは程遠い性格でしたが、中高6年間はずっと陸上部で短距離走をしていました。100メートル走を連続で100本走ることがあったりと、練習はとてもきつかったのですが、チームメンバーと一緒だったので乗り越えることができました。
大会で、個人で良い記録を出した時よりも、リレーで都大会に進出できた時の方が嬉しかったです。1人でできないこともチームでなら乗り越えられるし、みんなで同じ目標に向かって頑張ることで喜びも大きくなるんだな、と初めて感じたのを覚えています。今でも当時のメンバーとよく会っています。
──高校生の時は、将来の進路についてどのように考えていましたか?
私が通っていた高校は普通科だったので、卒業後の進路として4年制の大学を選ぶクラスメートがほとんどでした。私は、小学生の頃に絵を先生に褒めてもらえたことがきっかけで、自分の手で一から何かを作る人になりたいと考えていたこともあり、直感で美大に通うことを決めました。
高校3年生の夏まで陸上部で練習を続けていたため、美術予備校に通い始めるのが遅く、周りとの差に落ち込むこともありましたが、最後は「一度やると決めたらやり切りたい。」という気持ちが勝りました。私の選択を応援してくれた家族にも感謝しています。
──美大に入学してみて、どのようなことを感じましたか?
一言で言えば、自分の価値観がガラッと変わるほど衝撃的でした。それまでは中高一貫校に通っていたので、今から振り返ると、自分と同じような境遇や価値観の人が多い環境だったのだと思います。
一変して大学では、いろいろな考え方や志向を持っている人、独自の生き方を選んでいる人など、これまで出会ったことがない人たちと交流するようになりました。デザインとの向き合い方やデザイナーとしてのスタンスも人それぞれで、一人として同じ人がいないことに驚きました。
また、同い年にして、既に「こういうデザインを実現したい」といった確固たるビジョンや、デザイナーとしてのアイデンティティを持っている人が非常に多かったです。入学当時の私は、その人たちに対して「かっこいい」と思いながら、同時に、まだ何も確立できていない自分にコンプレックスを抱いたりもしました。
ただ、私が通っていた大学には、そんな私も含めて、それぞれの人の生き方や選択を否定せずに認め合うカルチャーがありました。人と比べるのを良しとしない環境に、とても救われました。
当時の私は、確固たるアイデンティティこそありませんでしたが、迷いながらも、目の前の一つ一つのことを全力で楽しんでいこうと決めていました。
子ども向けのデザインワークショップの運営に携わったり、素敵なクリエイティブを生み出しているデザイン事務所に直談判してインターンさせてもらったり、とにかく、やりたいことは何でも挑戦してみるというスタンスを大切にしていました。
──就職活動の時は、将来についてどのように考えていましたか?
大学3年生くらいから、「人々が何気ない日常を少しでも楽しめるきっかけを作りたい。」という想いを持つようになりました。
きっかけは写真の授業です。初めてちゃんとしたカメラを持って、写真を撮るために目をこらしながら歩くと、普段何気なく歩いている道にも無数の面白い光景があることに気づきました。それからはどこを歩いても新鮮で楽しくなりました。
自分がカメラを持ったことで日常の景色が一変したように、少しのきっかけで人々の日々が変わるならば、そのきっかけを自分が提供したいと思うようになりました。
それを実現するためには、ただ手を動かして、綺麗な物を作れるだけではいけないと考えていたので、誰に何を届けるかを考える企画段階から、エンドユーザーに価値を届ける最後のアウトプットまで、一気通貫で携わることができる仕事がいいなと考えていました。
事業会社のインハウスデザイナーを軸として会社選びを始め、数ある事業会社の中でも、今まで自分が学んできたことに近そうな、メーカーのパッケージデザイナーやグラフィックデザイナーなどを検討していました。
志望したメーカーに応募し選考に進んでいったのですが、最終面接の場で一問一答のやり取りをするなかで、「私はまだこの会社のことを全然知らないままだし、会社にも自分のことを全然知ってもらえていない。このまま入社を決めていいのか?」という気持ちを抱くようになりました。
そこで、中高生の部活での経験や、大学に入り多様な価値観を持つ人と関わった経験を改めて思い出し、「一緒に仕事をしたいと思える人がいて、いろいろな価値観を認め合える環境のある会社が自分には向いているのかもしれない。」と考え、再び就職活動を始めました。そして、その過程で出会った会社がVisional(当時ビズリーチ)でした。
会社説明会の場で、デザイン・フィロソフィー「We DESIGN it.」の話を聞いて、大きな感銘を受けました。「私たちがデザインをする対象は、すべてです。」「デザインとは、課題解決や価値創造のためのプロセスそのもの。ビジュアルはもちろん、思考や計画、設計もデザインです。だからこそ私たちは、デザインがはたらくべきフィールドはすべてであると本気で考えています。」といった言葉は、まさに私が思い描いていたデザイナーの在り方に非常に近く、この会社であれば、ただ手を動かすだけではなく、企画段階から責任をもって携わることができると考えました。
また、Visional(当時ビズリーチ)の1dayインターンに参加して、UIデザインの面白さと奥深さを学び、この会社でデザイナーとして挑戦したいという気持ちが強くなりました。
──Visional(当時ビズリーチ)の本選考を振り返って、印象に残っていることはありますか?
いろいろな社員と話すなかで、一人一人が自分なりの哲学や譲れない大切な想いを持ちながら、同時に、デザイン・フィロソフィーの「5つの約束」を働くことを通して体現していたことが印象的でした。
そうした働く姿に惹かれ、また、この人たちと一緒に世の中の大きな課題の解決にチャレンジしたいという気持ちが強くなっていきました。
選考中、特に印象に残っているのが、内定をもらった時のことです。最終面接の後、(田中)裕一さん(Visionalグループ 株式会社ビズリーチ 執行役員 CDO)は、「この会社で働き始めたら、今までの人生で味わったことのないような泥臭い経験をすることになると思います。大変なことも多いかもしれませんが、一緒に頑張っていきましょう。」という言葉をかけてくださりました。
私は今まで割と直感的に楽しく生きてきて、大きな挫折もしたことがなかったので、それを見抜かれた気がしてドキッとしました。「なぜ一度話しただけなのに分かるんだろう。」と学生ながら驚きと尊敬の念を抱きました。
今から思うと、当時の私はその言葉について、本当の意味で理解できていなかったのだと思います。実際に入社して、いろいろなシーンを経験するなかで、その言葉の意味がやっと少しずつ分かってきました。
転機となったのは、入社2年目で経験した人生初めての挫折。
──入社してからの変遷について教えてください。
1年目は、研修を経て、ビズリーチ事業の担当となり、ビジネスマーケティング施策に関連するクリエイティブのデザインを手掛けていました。オウンドメディアのバナーやオフラインイベントで配布する広告など、一つ一つ先輩にフィードバックをもらいながら経験を積んでいきました。
私にとって大きな転機となったのは、2年目にオンライン広告のプロジェクトを担当した時です。それまで、先輩の槌谷(夏月)さんが担っていた領域を私が担当することになり、追うべき目標が非常に大きく、はじめはプレッシャーを感じました。
広告経由の流入や申し込みを増やすために、日々ABテストを繰り返し、毎日のようにもがいていたのですが、なかなか高い目標を達成できない時期が続き、暗い気持ちになったり、どうしたらこの状況を打開できるのか考える日々が続きました。今思えば、この時が人生で初めての挫折だったのかもしれません。
それまでの案件では、いつもサポートしてくれる先輩が近くにいましたが、このオンライン広告のプロジェクトメンバーは、ビジネスマーケティング担当の山本(悠太)さんと私の2人しかいませんでした。
そんな初めての環境に戸惑いながらも、山本さんと2人で、大きな目標の達成に向けて、何度もディスカッションを重ねていきました。前任者の槌谷さんがこれまで積み重ねてきた成果を守りながら、更に成長させていくことは決して容易いことではありませんでしたが、何度も議論をしながら繰り返し挑戦するうちに、状況を悲観的に捉えず、事業の成長のために今自分たちオンライン広告チームに求められていることを、着実にこなしていこう、と思えるようになりました。
──その時に向き合っていた大きな壁をブレイクスルーするために、当時どのようなことを考えていましたか?
オンライン広告は非常に複雑性が高く、つい施策の細部に目がいきがちですが、山本さんをはじめ事業部の仲間たちとコミュニケーションを重ねるなかで、視座を高く持つことが大切であると気付くことができました。
「今、事業部が向き合っている本質的な課題は何か?」を徹底的に問い続け、その課題の解像度を高めていくことで、その解決のために私が何をすべきかがクリアになりました。
また、いろいろな先輩に助けていただいたことも大きかったと思っています。特にマーケターの山本さんは、私とは全くタイプが違い、淡々と数値を分析しながら、打開策が思いつけば職域を超えて提案しに行くような、非常に行動力のある方でした。そのような方と仕事できたことで、私の仕事に対するスタンスも大きく変わりましたし、状況を打破する要因になったと思います。
この会社ではよく「越境」という言葉が用いられますが、デザイナーやマーケターといった役割にとらわれることなく、様々な職種の仲間たちとコラボレーションしていく先輩たちの姿を見ていたからこそ、私も自分の殻を破ることができました。
2年目にして、大きな持ち場を任せてくれ、こうした経験をさせてくれた会社にとても感謝しています。高い目標を達成するためには、苦しい思いをして、踏ん張ることも大切であると気付くことができて、その時に初めて内定時に裕一さんからもらった言葉の意味が少しだけ分かった気がしました。
今まで、誰かに勝ちたい、一番になりたいという執着心がなかった自分にとって、初めて「この状況に打ち勝たなければいけない」と思えたことが新鮮でしたし、その分どう突破すればいいか分からずに苦労をしました。だからこそ、周りの人たちにとても助けられました。自分にはない考え方、価値観を取り入れたことで、道がひらけた気がしました。
これからも、また新たな挫折や泥臭い経験をすることがあると思いますが、いろいろな人に刺激をもらいながら乗り越えていきたいですし、自分もまた誰かに刺激を与えられるような存在になりたいです。
デザイナーの役割にとらわれずに、「越境」していく。
──友清さんは、2021年8月に開催された株式会社ビズリーチの社内表彰式「BIZREACH AWARD」にて、新人賞(入社3年目以内の新卒社員を対象とした賞)を受賞しましたね。受賞した時のことを振り返ってみていかがですか?
とても大変な日々が事業の成長につながり、こうして表彰までしていただけたことはすごく嬉しかったです。ただ、この新人賞は自分だけのものではなく、当時新卒2年目だった私を信じて任せてくれた上司や、私の成長を支えてくれた周りの方たちのおかげだと思っています。
私はただ、そうした環境や機会に必死にしがみついただけです。私への個人賞ではなく、チーム賞のほうがふさわしいと思っています。
ちなみに、私はデザイナーとして「BIZREACH AWARD」の運営に関わっていたので、運営の皆さんが当日まで私の受賞がばれないように、台本を調整したり、リハーサルで名前が出ないようにしたりと、サプライズにするために大変気を使ってくださったみたいで。そのため、受賞した時はとても驚いたのですが、皆さんの心遣いが嬉しく、喜びが倍になりました。
──最後に、これからVisionalで実現したいことについて教えてください。
これからも、一人のデザイナーとして更に価値を発揮できるように成長を続け、「お客様の本質的課題解決」を実現していきたいです。
そのために、デザイナーとしてアウトプット力を磨いていくことはもちろん、ビジネスの視点も合わせ持ち、枠組みにとらわれずに越境していきたい。そして、視座を高く持ち、事業や会社目線でデザインの力を活用できるようになりたいです。最終的には、ビジネスとデザインをつなぐ「架け橋」のような存在になりたいと考えています。
この8月から新しく、ビズリーチ事業部の求職者様向けの施策を担当することになりました。これまで学んだことを大切にしながら、更に変わり続けるために学び続け、新しい環境でも挑戦していきたいです。
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