好奇心の赴くほうへ。広い世界に憧れ続けてきた僕が、ビズリーチを選んだ理由。
今回は、2017年4月にエンジニア職として新卒入社し、現在は、株式会社ビズリーチのHRMOS事業部所属の佐藤有斗さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、佐藤さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。
※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。
プロフィール
佐藤 有斗/Sato Yuito
神奈川県横浜市出身。早稲田大学社会科学部を卒業後、半年間、プログラミングスクールにおけるフルタイムのエンジニアインターンを経て、2017年4月に新卒で株式会社ビズリーチに入社。HRMOSのエンジニアとして、機能の開発や関連新サービスの立ち上げを担当。
「ドラクエVIII」を通して、新しい世界が広がる感動を知る。
──今回は、佐藤さんのこれまでの人生を遡りながらお話を聞かせていただきます!
よろしくお願いします!
──まず、幼少期や学生時代のお話から聞かせてください。
神奈川県横浜市で生まれ育ちました。
祖父と父が大工として働いていて、いつも働く姿を近くで見ていたので、小さい頃から、ものづくりに興味を持っていました。家族みんなで家のリフォームをした時のことや、父がオリジナルの家具を作ってくれた時のことは、今でも鮮明に覚えています。あの頃は、祖父や父に憧れて、将来は大工になりたいと考えていました。
4つ上の兄がいて、彼は今、祖父と父の自営業を三代目として継ぐために修行をしています。兄は、父から強制されたわけでは決してなく、自分の意志で大工の道を選びました。兄は、自分と同じくらい、もしくはそれ以上に、ものづくりが好きなのだと思います。
また、母が趣味で油絵を描いていて、その影響で、僕も小さい頃から絵を描くのが好きでした。よく、ノートにドラゴンの絵を描いたりして遊んでいたのを覚えています。些細な自慢ですが、図工の授業は、いつも5段階評価で5の成績でした。
──子どもの頃、他に熱中していたことは何かありましたか?
とにかくゲームが好きで、ずっと熱中していました。ポケモンや「どうぶつの森」など、コツコツ育てたり集めたりするRPGが好きでした。その中でも特に、小学生の時にはまった「ドラゴンクエストVIII」は思い入れが強くて、あのゲームとの出会いは僕の人生の転機だったと思っています。
──「ドラクエVIII」のどのようなところに惹かれたのでしょうか?
ゲームの中の世界がとにかく広大で、ストーリーを進めていくたびに新しい発見がありました。直接的にストーリーと関係がなくても、いろいろなステージを隅々まで歩き回っていました。そのたびに、「こんなところまで進めるんだ」「こんな道があったんだ」と驚きや気付きがありましたね。どんどん新しい世界が広がっていく感動が押し寄せてきて、ずっと好奇心を刺激されていました。
──中学~高校時代は、どのようなことに打ち込んでいましたか?
ゲームはずっと好きでしたが、部活も勉強も人一倍頑張ってきたと思います。
兄の影響でテニスに興味を持って、中学の時は軟式テニス部、高校では硬式テニス部に入りました。試合に勝つことへのこだわりが強かったので、毎日練習に打ち込んでいました。
勉強についても同じで、親友が勉強が得意だったので、僕も負けたくなくて、テストのたびに、いつも彼と点数を勝負していました。ただ、高校受験の時、その親友と一緒の志望校を目指して勉強していたのですが、僕だけ落ちてしまって。とても悔しい思いをしましたが、もう一つの志望校には合格することができました。この高校にも強い思い入れがあったので、新しく始まる高校時代に向けて気持ちを切り替えました。
──その高校に強い思い入れを持っていたのは、なぜだったのでしょうか?
その高校のカリキュラムには、2週間のカナダへの留学が組み込まれていたからです。「ドラクエVIII」にはまって、広い世界に憧れを抱いていたからこそ、実際に海外に行ったら、比較できないくらい多くの発見や学びがあるのではと期待していました。
──その留学で、初めて海外に行った時のことを振り返ってみていかがですか?
そもそも飛行機に乗るのも初めてだったので、とても怖い思いをした記憶がありますが、それ以上に、好奇心をくすぐられるワクワク感のほうが大きかったです。実際にカナダの空港に着いた時は、とても感動しましたね。
また、2週間、日常の生活から解放されて、一つ気付いたことがありました。
留学に行く前までは、僕の学校生活はテニス中心でした。また、授業のテストでも、周りの友人たちに負けたくなかったので勉強もずっと頑張っていました。それまでの自分は、テニスの試合で勝つことや、テストで高い点数を取ることに強いこだわりを持っていて、悪い意味で、視野が狭くなっていたのだと思います。試合で負けてはいけない、テストで低い点数を取ってはいけない、と必要以上に自分を追い込んでいたのかもしれません。
今から振り返れば、そこまでストイックであろうとしていたのは、マンガやゲームの影響だったと思います。「ドラゴンボール」や「ワンピース」を読んで、誰よりも努力して、勝利を掴み続けなければならない、と思っていたんですよね。
そのスタンスは今も変わらないのですが、ただ、留学期間中にいろいろな場所に行ったり、現地の方と交流するなかで、多様な文化や価値観に触れることができました。世界の広さを身をもって感じながら、僕は、テニスや勉強の他にも様々な選択肢があって、だからこそ、これから先の人生はたくさんの可能性に満ちていることに気付きました。その時から、少し気が楽になったのを覚えています。
また、留学を通して、好奇心が満たされていくことの喜びを再確認することができました。だからこそ、大学では、もっと長期の留学に行きたいと考え、留学から帰ってからは、早稲田大学を目指して受験勉強をしました。外国から日本に来る留学生を多く受け入れている早稲田大学であれば、多様な文化や価値観に触れられる、また、そうした留学生とのコミュニケーションを通して、いち早く英語を習得できると考えていました。
1本の映画との出会いをきっかけに、プログラミングの世界へ
──早稲田大学に入学してからは、どのように過ごしていましたか?
長期の留学を視野に入れて、英語の勉強に打ち込んでいました。留学に行くためにはテストに合格する必要があったので、その目標に向かって毎日勉強していました。誰よりも早く英語を習得したいと思い、本来は履修する必要のない英語の授業も受けたりしていましたね。
並行して、海外からの留学生の受け入れを支援する国際交流サークルにも参加していました。大学が用意している受け入れカリキュラムをサポートする役割を担っていて、留学生と日本の観光地を巡ったりしましたね。そうした交流を通じて、英語のコミュニケーションにも少しずつ慣れてきて、留学へ懸ける想いがどんどん強くなっていきました。
そして、3年生の夏から約1年間、アメリカへ留学しました。
アメリカ留学中、グランドキャニオンに行った時の写真。
──留学中、印象に残っている出来事はありますか?
いろいろな場所に行ってたくさんの景色を見てきたのですが、どのシーンも印象に残っています。高校時代にカナダに行った時のように、どんどん新しい世界が開かれていく気がして、好奇心が刺激されましたね。
アメリカでの生活を通して、いろいろなことに興味を持つようになりましたが、特に、ある日たまたま観た映画に特に大きな衝撃を受けました。「ソーシャルネットワーク」というFacebookの創設物語を描いた映画なのですが、パソコン一つで世界を変えるようなビジネスを生み出せることを知り、大きく心を動かされました。
また、小さい頃からものづくりが好きだったからこそ、コードを書くことによってプロダクトを作り出していくエンジニアという職種に、とても共感しました。
僕はもともとは、留学から帰ったら、商社を中心に就職活動をしようと考えていました。留学で広い世界を知るのが楽しかったからこそ、将来は海外で働きたいと考えていたんですよね。ただ、その映画を観た後、好奇心をくすぐられて、すぐにプログラミングの勉強を始めました。はじめは、iOSアプリの作り方の動画などを見ていてもほとんど何も理解できなかったのですが、全く新しい領域の知識を学ぶ体験はとても楽しかったです。
──留学を終えた後は、どのように過ごしていたのでしょうか?
アメリカから帰国した後、まずは基礎的な知識を身に付けなければならないと思い、プログラミングスクールに通い始めました。学べば学ぶほど、プログラミングの世界の奥深さを知り、どんどん惹かれました。
その流れで、通っていたプログラミングスクールから誘いを受けて、インターンとして働き始めました。メンターとして生徒からの質問に答えたり、教材となるプログラムを企画したり、いろいろな経験を積んで、そのインターンにもどんどんのめり込んでいきましたね。結果、就職するまでの約一年半、インターンを続けました。
プログラミングスクールのインターン時代の1枚
──就職活動の時は、どのような企業を受けたのでしょうか?
実は、最初に就職活動をした時は、エンジニア以外の選択肢を考えていました。というのも、エンジニアリングの世界について知れば知るほど、その奥深さに圧倒されて、一度、自信をなくしてしまったことがあったんですよね。
その時は、別の企業にエンジニアとは違う職種で内定をもらっていて、そちらに気持ちが傾いていました。その内定をもらった後も、プログラミングスクールでインターンとして働きながら、どの道に進むべきか考え続けていたのですが、長い間決め切れずにいました。
ただ、プログラミングに打ち込み、自らの選択肢と可能性を広げていく生徒たちを間近で見るなかで、奥深い世界に足を踏み出すことはたしかに苦しいかもしれないけど、それ以上に楽しいことのほうが多いかもしれないと思い始めました。もちろん不安はありましたが、人生100年時代、これから先のキャリアはどうなるか分からないからこそ、自分が楽しいと思える道に懸けたいと覚悟を決め、そして、エンジニアとして就活をやり直しました。
ゼミの研究の一環でハノイ大学に行った時の写真
目指すのは、仲間の力を引き出し、最大化するエンジニア
──数あるIT企業の中から、最終的に、ビズリーチを選んだ理由について教えてください。
1つ目の理由は、この会社で働けば、いつまでも自分の好奇心が満たされ続けると思ったからです。新規事業や新しいプロダクトの開発に積極的に挑戦する会社としての姿勢に、とても共感しました。
もう1つの理由は、昔から、将来は「人を助ける仕事」に就きたいと考えていたからです。だからこそ、テクノロジーの力で、世の中の様々な領域における課題の解決を目指すビズリーチに惹かれました。
──いつ頃から、「人を助ける仕事」に就きたいと考えていたのでしょうか?
小さい頃からです。父の働く姿を見ていて、影響を受けたのだと思います。
祖父と父がやっていた大工の仕事は、地域の方々からの支えや信頼があるからこそ成り立つもので、だからこそ父は、大工として、地域の困っている方たちを助けることを通して、「恩送り」したいと言い続けていました。そうした父の背中を見続けてきたからこそ、僕も、いつか自分が働く時が来たら、助けを求めている人の力になりたいと考えていました。
Visional(ビズリーチ)には「価値あることを、正しくやろう」というValueがありますが、選考を受けるなかで、この会社には、自分と同じような価値観を持っている人が集まっていることを知り、入社を決めました。
──佐藤さんは、2017年4月に入社してから現在までの約3年間、HRMOS事業部で開発を担当していますよね。この数年間を振り返って、一番印象に残っていることについて教えてください。
この数年間、幸いなことに数多くのプロジェクトに携わることができましたが、自分の中で一番大きなプロジェクトは、今まさに進行中の新規サービス開発です。毎日のように新しい壁にぶつかっていますが、もともと、新規サービスの開発に挑戦したいという想いがあったからこそ、壁にぶつかり苦しみながらも、日々やりがいを感じています。
──どのような壁と向き合っているのでしょうか?
開発におけるスピード感とサービスの品質、そのバランスについてずっと試行錯誤を繰り返してきました。少しでも早くお客様に価値を提供したい、しかしその一方で、お客様のためにセキュリティや可用性などの品質を担保しなければならない。このせめぎ合いの中で、ずっともがいていました。
──どのようにして、その壁を乗り越えたのでしょうか?
品質を保ちながら、スピード感をもって開発を進める。つまり、既存機能の品質を担保しながらリリースを毎日行うには、毎日全ての機能をテストする必要があります。しかしもちろん、毎回全ての機能を手動でテストするわけにもいきません。そのため、チーム全員がテストコードを息をするように書けるよう、コード基盤や開発体制の仕組み化を目指しました。
チームにとって新しい挑戦でしたが、会社で受けたスクラム研修で学んだ手法を取り入れながら、高速でPDCAを回していきました。新規サービス開発ということもあり、様々な技術にチーム一丸でチャレンジでき、好奇心が満たされていくのを感じました。
HRMOS事業部のチームメンバーとの集合写真
──2020年8月にオンライン開催された「BIZREACH AWARD」では、佐藤さんのチームが優秀チーム賞を受賞されましたね。受賞が発表された時の気持ちを振り返ってみていかがですか?
チームとしての成果を称えてもらえてとても嬉しかったです。しかし、まだまだやるべきことはあるので、チームの仲間と一緒に、より良い体制の構築を目指して、引き続き試行錯誤を重ねていきたいと思っています。
──最後に、これからビズリーチ、もしくはVisionalで成し遂げたいことについて教えてください。
働いていて思うのは、一人でできることには限界があるということです。だからこそ僕は、仲間の力を引き出し、最大化するようなエンジニアになりたいと思っています。「ドラクエ」で例えると、補助呪文を使えるような存在ですね。そして、一人では決して作れないような価値あるプロダクトを世に送り出していきたいです。
また、Visionalには、次々と新しい仲間がジョインしています。だからこそ、どのような人が来ても、その人の強みを活かしながら高いアウトプットを出し続けられるような再現性を持つチームを作っていかなければならないと思っています。それぞれの仲間たちの強みが美しく調和したチームを目指すために、これからも、日々学び続けていきたいです。
──本日は、ありがとうございました!
とんでもございません、ありがとうございました!
この記事の執筆担当者
松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。
【関連記事】
「ALL VISIONAL」Twitterアカウントは、こちら。
「VISIONAL ENGINEERING」Twitterアカウントは、こちら。