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次の世代のために、「全ての働く人が輝く世界」を実現するプロダクトを残したい。

今回は、HRMOS事業部EXプロダクト開発部の部長を務める小林達さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、小林さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。


プロフィール

小林 達/Kobayashi Satoshi
新潟県佐渡島出身。京都大学総合人間学部を卒業後、SIerを経て、ソフトウェアパッケージベンダーに転職。連結会計システムの開発・導入を担当。その後、複数拠点・多国籍のメンバーとともに統合会計システムの開発に携わる。2014年、株式会社ビズリーチに入社。「スタンバイ・カンパニー」、および「HRMOS採用」の立ち上げにおいて開発チームをリード。現在は、「HRMOS CORE」「HRMOS評価」などの新プロダクトを手掛けるHRMOS事業部EXプロダクト開発部の部長を務める。


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電話回線で世界とつながる。衝撃的だったインターネットとの出会い。

──はじめに、幼少期や学生時代のお話を聞かせてください。

新潟県新潟市で生まれ、小学3年生まで過ごしました。その後、父の実家である佐渡島へ引っ越して、高校を卒業するまでの9年間を離島で過ごしました。

それまで、ずっと新潟市の都市部で生活していたため、夏休みに遊びに行くだけの楽しい場所だった祖父母の住む離島が、自分が暮らす場所になったことの違和感は大きかったかもしれません。しばらくは、周囲と自分の間の距離感を感じていたと思います。離島の暮らしや、そこに生きる自分のことを、客観的に俯瞰して見ている部分がありました。

あの頃からなんとなく、物事を相対的に捉えることを意識していて、それは今も自分が大切にしている価値観の一つとなっています。

──小さい頃は、どのようなことに興味を持っていましたか?

父親の影響で、ものづくりの世界に興味を持っていました。父は、電子工学関連の仕事をしていて、その延長で、休日にDIYでいろいろな器具を作っていました。父の仕事場に並んでいた部品や機材などを見て、ワクワクしていたのを覚えています。

──学生時代は、どのようなことに打ち込んでいたのでしょうか?

高校2年の時に「Windows 95」がリリースされてから程なく、インターネットの世界に惹かれていきました。当時、離島で暮らしていた自分にとって、電話回線を通じて世界につながる体験はとても衝撃的なものでした。どこからでも世界とつながる高揚感を感じた時のことは今でもよく覚えていて、月並みですが、今から振り返れば、ソフトウェア業界へ目を向けるきっかけになったのだと思います。

──高校卒業後、小林さんは、京都大学総合人間学部へ進学されますね。大学時代を振り返ってみて、いかがですか?

文系・理系の両方の同級生がいましたが、みな非常に優秀で個性的でもありました。それまで田舎の狭い範囲で暮らしていたわけですが、自分は井の中の蛙だったのだと感じました。大学時代の4年間は、自分にとって社会勉強の期間でしたね。

また、4回生の頃、ベンチャー企業でインターンを始めたのですが、その経験が、私のエンジニアとしての原体験です。今でいうフロントエンドエンジニアの役割から管理職のような仕事までさせてもらいました。当時は「ドットコムバブル」と呼ばれる時代で会社が熱気にあふれていて、私自身も寝泊まりするほど夢中になって働いていましたね。


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「エンジニアとしてコードを書き続けたい」という想いから、再び転職を決意。

──小林さんは、大学卒業後、SIerに入社されましたね。

はい、大手化学メーカーの情報システム部門の保守担当として、いきなり現場に配属され、そこでエンジニアとしてのイロハを学びました。本社の経理部、地方の工場、データセンター、関連会社などに行脚して、トラブルも何回か経験しました。今から振り返ると、社会人になりたての時期に、様々な現場を経験できたことは、その後の糧になったと思っています。

3年ほど働いた後、自社製品を持つ企業で働きたいと考え、連結会計のパッケージベンダーに転職しました。その会社では、プロダクトを内製で開発し、お客様に導入し、会計士を含む保守部隊が保守するという、今でいうサブスクリプションモデルが綺麗に回っていましたね。私は、はじめは保守から経験し、導入を経て、その後は製品開発を担当しました。計10年ほど働きましたが、この時の経験は、同じBtoBのHRMOSシリーズの開発にも活きています。

──その後、再び転職を考えたのはなぜだったのでしょうか?

当時リモートで一緒に働いていたアメリカ在住のエンジニアの上司からの影響が大きかったですね。それまで日本では、コードを書かずにPMのような役割を担うエンジニアが重宝されていたのですが、その上司が働いていた西海岸における開発の話をいろいろと聞くなかで、「コードを書けるエンジニアが中心にいる世界」に憧れるようになりました。当時の私は30代前半で、プロジェクト管理や設計、各所との調整をすることが多かったので、「このままではいけない」「コードを書き続けたい」という考えが強くなりました。

それから、コードを書く仕事の割合を増やすようにしていったのですが、クラウド環境でサービスを改善していくスタートアップ界隈の勢いに比べて、当時自分が開発していたのは、オンプレミス型ソフトウェアだったため、自分たちの努力で環境を変えていく難しさがありました。

そして、「30代半ばでもエンジニアとしてコードを書けること」「新しい技術を柔軟に取り入れる成長企業であること」という軸で転職先を探し始めました。

──株式会社ビズリーチに入社を決めるまでの経緯について教えてください。

最大手のメーカーや、日本企業が買収したスタートアップなどを検討していたなかで、スカウトが届いたビズリーチの選考を受けてみました。選考を受けた2013年当時は、今ほどの知名度もなく、はじめは転職先候補に入っていませんでした。

ただ、話を聞いていくなかで、成長企業の勢いを強く感じました。大学時代のインターンの経験を重ねて見ていたのかもしれません。またこの会社であれば、前職のスキルセットを活かしつつ、エンジニアとしてコードを書き続けられると思いました。

──選考中、何か印象に残っていることはありましたか?

面接過程では、常に私の興味関心の度合いや心情の変化に合わせて選考プロセスをパーソナライズしてくれている印象を持ちました。他社の選考が機械的に進んでいたのと比較して、この会社は人を大事にしていると感じ、興味を持ちました。余談ですが、この面接の過程でHRMOSの構想を聞いたのは記憶に残っています。

──ビズリーチへ入社を決める一番の決め手は何だったのでしょうか?

これまでの経験を活かせることが前提にあり、ちょうど熱を入れていた Scala を書き続けたかったのは正直ありましたね。また、この会社なら、世の中の役に立っているという実感を持てそうでしたし、かつ会社が急角度で成長するなかで、躍動感を感じながら働けると思っていました。また、いろいろな社員と話すなかで、社員たちが「価値あることを、正しくやろう」という共通の価値観を持っていると感じました。この人たちと一緒に働きたいと考え、入社を決めました。


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次の世代のために、全ての働く人が輝ける社会の実現を目指す。

──入社してから現在に至るまでの変遷について教えてください。また、そのなかでどのようなことを感じていましたか?

2014年5月から2015年秋までは、「スタンバイ・カンパニー」(現・かんたん求人作成)の立ち上げ、2015年秋から2017年春までは「HRMOS採用」の立ち上げ、そして2017年春からは、「HRMOS CORE」「HRMOS評価」をはじめとする新しい領域の製品開発全般を担当しています。入社してから今日に至るまで、変化の多い日々を過ごしてきました。私自身どちらかというと飽きやすい性格なのですが、この6年半でそう感じたことは一度もありません。

これまでにいくつかの事業やサービスの立ち上げを経験してきましたが、暗中模索の状態から、関わるメンバーが増えることで徐々に形になっていき、そして多くのお客様が実際に使っていただくまで成長していく姿を見ることができるのは、エンジニア冥利に尽きます。

──小林さんが、エンジニアとして大切にしていることはありますか?

小さい頃から物事を俯瞰して見るタイプだったことに通じているのかもしれませんが、開発においては、バランスを取ることを大事にしています。恥ずかしながら、これまでの開発では、「生き残ったコード」よりも「破棄したコード」のほうが何倍も多いです。設計資料も同様です。作り込みすぎても仕方がないということを過去の失敗から学びました。

この会社には、経験値に基づくバランスの取れた意思決定ができる仲間が集まっているので、同じ目線で議論できるのが心地よいですね。それはエンジニアだけでなくて、デザイナーやプロダクトマネージャー、カスタマーサクセスなど、全ての仲間とのやり取りでも同じです。

──小林さんは、立ち上げから現在に至るまで、約5年にわたってHRMOSシリーズに携わっています。小林さんが、このプロダクトに懸ける想いについて聞かせてください。

HRMOSシリーズは、それまで経営や組織が主語になっていた人事の活動を、より働く人にパーソナライズされた世界へと変えていける可能性があると思っています。採用、配置、評価といった従来からの人事業務に加え、キャリア、目標、学習、成長といったより個人の関心事にもフォーカスすることで、全ての働く人が輝ける社会が実現すると信じています。

最近では、親として娘の世代の存在をより強く意識するようになりました。物事を考える際の軸が自分ではなくなり、気が付いたら、子ども、または次の世代のために、どのような世界を実現したいか、という考え方に変わっていました。一つの製品や組織に固執するわけではないのですが、結果的に、HRMOSシリーズを通して、誰もが「働く」ことに前向きになれる世界の実現に貢献できたらと思っています。

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帰省時の船中にて、ウミネコに餌をやる娘。

──その世界の実現のために、今後どのようにプロダクトを作っていきたいと考えていますか? また、そのためにどのような組織を作っていきたいと考えていますか?

私たちが作っているHRMOSシリーズは、大きくて複雑なプロダクトです。そのために中央集権と地方分権を両立させた組織戦略や製品戦略、または技術戦略が必要だと思います。みんなが同じ方向を向きながら、同時にそれぞれが各自の判断で動いているようなイメージですね。

良い悪いではなく、実際のところ既に私自身が関与できる意思決定の割合はどんどん小さくなっています。優秀な仲間に囲まれ、彼ら彼女らが自ら判断をしていく場面が増えています。

また一般的に、扱っている情報の秘匿性が高いBtoB領域では、高い品質を求められ保守的な選択をしがちですが、技術に立脚した製品でなければ中長期的な競争力を保てないため、技術的に挑戦できる組織を作りたいという想いがあります。世界の技術について、特に感度の高い外国籍の方の採用に引き続き注力しているのも、その想いからです。

──最後に、小林さんが今後HRMOS事業部、もしくはVisionalで成し遂げたいことについて教えてください。

まずはHRMOSシリーズが、日本を代表するHRサービスになれるよう微力を捧げたいと思います。まだまだ成長の余地しかありません。

私個人としては、プロダクトの成功に再現性を持たせるために様々な角度から貢献できるエンジニアになっていきたいですね。コードを書ける機会を失わないようにするのも大事だと思いますし、組織をマネジメントしていくことも大事だと思います。Visionalのバリューの一つ「変わり続けるために、学び続ける」は、いつも自分に言い聞かせています。

──本日は、ありがとうございました!

とんでもありません、こちらこそありがとうございました。


この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。


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