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自分のためでなく、誰かのために。「お人好し」の僕がビズリーチで働く理由。

今回は、2016年4月にエンジニア職として新卒入社し、現在は、株式会社ビズリーチのビズリーチ事業部所属の山本凌平さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、山本さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。


プロフィール

山本 凌平/Yamamoto Ryouhei
埼玉県さいたま市出身。中央大学大学院物理学専攻を修了後、2016年4月に新卒で株式会社ビズリーチに入社。ビズリーチ事業部でサーバーサイド(Java)から始まり、フロントエンド(Angular)、モバイルアプリ(iOS/Android)、バッチアーキテクチャ(Golang/AWS)などの開発を行う。現在は、既存アプリケーションのリアーキテクチャを担当している(Kotlin、GraphQL、Angular、Golang)。


自分を傷付けないために「いい子」を演じていた学生時代

──今回の取材では、これまでの人生を遡りながらお話を聞かせていただきます。よろしくお願いします!

はい、よろしくお願いします!

──まず、幼少期や学生時代のお話から聞かせてください。

千葉県で生まれ、その後はずっと埼玉県で育ちました。

両親は、どちらかというと寛容で、そのため僕は、家ではわがままな子として育ったような気がしています。小学生の頃はゲームが大好きで、時には、何時間も熱中しすぎるあまり怒られることはありましたが、特段、何かを強制されるようなことはありませんでしたね。

また、2つ下の弟がいるのですが、歳が近かったからか、親から「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」と言われたこともありませんでした。弟はとにかくいいやつで、小さい頃から、弟にもわがままを聞いてもらっていたくらいです。お互い大学生になってからも、終電を逃した僕を弟が迎えに来てくれたこともありました。弟とは、今でも二人でドライブ行ったりするくらい仲が良いですね。

──家の外では、どのようなキャラクターでしたか?

家の中ではわがままだったのですが、幼稚園や学校では「いい子」と褒めてもらえるタイプでした。

そのきっかけとなる出来事については鮮明に覚えていて、幼稚園の頃、少し危険な場所で遊んでいたら、先生に猛烈に怒られたことがありました。いつもは優しい先生が、その時、初めて僕に恐い顔を向けたんですよね。もちろん、先生は僕の安全を守るために怒ってくれていたのですが、その豹変ぶりに、僕はとんでもなくショックを受けてしまって。悪気はなかったとしても、自分の行動が人を豹変させてしまうことがあると、僕はあの時、幼いながらに知ってしまったのだと思います。

それから小学生になり、僕はすっかり「いい子」を演じるようになっていました。家庭訪問の時は、先生から「山本くんは本当にいい子ですね」とよく褒めてもらっていました。それでも僕は、そのように褒められてもあまり嬉しくありませんでした。当時はそこまで深く考えていなかったような気もしますが、正確には、自分を傷付けないために人の顔色を窺うのが上手なだけで、誰かと接する時は常に「いい子」であるよう気を遣っていたのだと思います。

友達の間でも「お人好し」な人として立ち振る舞って、なるべく誰かの気に障らないように、波風を立てないように過ごしていました。そして、どんどん周りの空気を察知する嗅覚が培われていって、そんな自分が嫌になることもありましたね。


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「いい子」を演じていた小学生時代。


──中学~高校時代は、どのようなことに打ち込んでいましたか?

中学の時にソフトテニス部に入って、高校では部長を務めていました。ただ、「部長は、選手として実力があって、チームを束ねるリーダーシップのある人が務めるもの」というイメージがあったので、はじめは自分が部長になることに葛藤がありました。

──どのような経緯で山本さんが部長になったのでしょうか?

同じ学年のメンバー5人の内3人が未経験者で、自分が中学からテニスを経験していたことが理由の一つです。もう1人の経験者のほうが僕より実力があったのですが、その人は朝が弱くて遅刻が多かったから、真面目に練習に参加していた僕に部長のポジションが回ってきた感じですね。やはりあの頃も、自分は優等生を演じていたような気がします。


自分のためでなく、誰かのための「お人好し」でいたい。

──山本さんは、中央大学の理工学部に進学していますね。ここで、理系の道を選んだのはどうしてだったのでしょうか?

父がメーカーでエンジニアとして働いていた影響が大きいと思います。中学の時、理科の自由研究でブラックホールについて研究したことをきっかけに宇宙に興味を持ちました。また、高校生の時に観たドラマ「ガリレオ」の影響で物理を学びたいと思うようになり、物理学科に進学する道を選びました。

──大学時代はどのように過ごしましたか?

友人と一緒に、軽音部に入りました。もともと、中学1年生の時にアコースティックギターを触り始めて、高校の頃はエレキギターを買い家で練習していたので、大学に入ってからは本格的にギターをやりたいと思っていました。

ただ、一番最初のライブでは、キーボードを弾ける人がいなかったからという理由で、ギター担当を希望していた僕がキーボード担当に転向したんです。はじめは、五線譜を読めなかったので苦労しましたね。

──この時も、「お人好し」を演じていたという意識はありましたか?

当時の僕は、もはや無意識のうちに「お人好し」を演じるようになっていたと思います。

ただ、キーボード担当として初めてのライブに出演した後も、やはりギターを上手に弾けるようになりたいと思い、必死になって練習を始めました。一つのことに熱中すると他のことが考えられなくなるタイプだったので、大学時代はギターを弾いてばかりでしたね。ビズリーチに入社した今でも、会社の軽音部のライブで演奏し続けています。

──山本さんは、自分では、いつまで「いい子」や「お人好し」を演じていたと思っていますか?

正直に言えば、今でも無意識的に「お人好し」な振る舞いをしてしまうことはあると思います。ただ、同じ「いい子」「お人好し」でも、その在り方は大きく変わったと思っていて、そのターニングポイントとなった出来事が、NPOでのインターンでした。

大学院時代、友人から誘われたことがきっかけで、子どもの学習支援ボランティアを始めました。そこで僕が担当したのは、勉強が大嫌いでゲームが大好きな男の子でした。その子とはすぐに仲良くなって、僕と一緒にいる時は勉強もしてくれるようになりました。ただ、唯一、宿題だけは取り組んでくれなかったのです。何度も宿題を出しても、どうしてもやってきてくれない。ただ僕は、その子に対して「家で一人で勉強はやりたくないよな」と同情するだけでした。

ある日、NPOの先輩から「本当に彼のことを考えているの?」と言われて、僕はぶん殴られたような気持ちになりました。その時に僕は、自分を傷付けないために、相手と本音でぶつかることからずっと逃げていたのだと気付きました。

そして、「そもそも何のために宿題を出していたのか」「その子にとって、本当に大切な学習支援とは何か」を本気で考え始めました。彼以上に彼の人生について考えて、そして、僕が伝えたいと思うことを包み隠さず正直に伝えました。次第に、彼は自ら進んで勉強するようになり、ある時「将来、ゲームクリエイターになりたい」と夢を語ってくれました。それが心の底から嬉しくて、あの時、僕は「自分のためのお人好し」から「相手のためのお人好し」に変わることができたのだと思っています。

その後、彼の夢の実現のために力になりたいと思い、中高生向けのプログラミング教室を運営する会社でインターンとして働きながら、未経験からUnity(C#)を学び、ゲーム開発メンターになりました。


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人生のターニングポイントとなった、子どもの学習支援ボランティア。


そして、インターンとして働きながら、ITを通して、自らのキャリアの選択肢や可能性を広げていく中高生の姿を見て、自分自身も、もっとプログラミングのスキルを身に付けたいと思うようになり、エンジニア職として就職活動を始めました。

──数あるIT企業の中で、ビズリーチを選んだ経緯について教えてください。

今から振り返れば、最終的な決め手になったのは、選考中にお会いする「人」だったと思っています。

いろいろな方とお話しするなかで、ビズリーチには、高い技術力を持つエンジニアが集まっているだけでなく、常に「本当に価値のあるものを作ることができているのか?」と自問しながら、徹底的にコトに向かう姿勢を大切にしている人が多いことを知り、とても惹かれました。

また、新卒エンジニアの研修内容も見せてもらって、Webを通して価値提供する上で必要となるフロントエンド、サーバーサイド、インフラ、DB、さらにはモバイルアプリ、スクラム開発などを学べ、実開発でも自分の力次第で全ての工程に携われると知ったことも、大きな決め手になりました。僕自身、「フルスタックエンジニアになりたい」という目標があったので、この会社であれば幅広い技術を身に付けることができると思いましたね。


「仕事の報酬は、もっと面白い仕事」挑戦と成長の機会は、自ら創り出す。

──実際に入社して、働き始めた時のことを振り返ってみていかがですか?

例えば、「価値あることを、正しくやろう」もその一つですが、会社のValueを体現した働き方をしている人が、本当に多いなと思いました。チームの仲間たちは、常に「この機能、本当に価値あるんだっけ?」と問い続ける姿勢を大事にしています。そうした仲間と一緒に働く環境だからこそ、僕自身も、お客様だけを見据え、自信を持って開発に打ち込めています。

──ビズリーチ事業部でエンジニアとして働き始めて、約4年が経ちましたね。これまでを振り返って、特に印象に残っていることはありますか?

(竹内)真さん(現・ビジョナル株式会社 取締役CTO)の「仕事の報酬は仕事。良い仕事をすれば、もっと面白い仕事として返ってくる。」という言葉が特に印象に残っていて、大きく影響を受けましたね。この言葉を受けて、どのような些細なタスクであっても、相手の期待値に対して120%で応えることを意識するようになりました。また、初めて携わる技術があった時は、初めてであることを言い訳にせず、自分やチームが使いこなせるようになるために、とにかく徹底的に調べ上げるようにしています。

その結果、次から次へと新しい領域に挑戦する機会をもらうことができました。サーバーサイド(Java)から始まり、フロントエンド(Angular)、モバイルアプリ(iOS/Android)、バッチアーキテクチャ(Golang/AWS)など、「フルスタックエンジニアになりたい」という僕の想いにマッチした仕事を、数多く経験することができました。

任せてもらえるタスクの難易度がどんどん上がっていて、大きなやりがいを感じています。僕は入社してからビズリーチ事業部しか経験していませんが、一つの事業部でもこれだけ多くの挑戦ができることを考えると、Visionalには、もっと多くの成長の機会で溢れていると思いますね。


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会社の軽音部で、同期と一緒に組んだバンドの集合写真。


──最後に、株式会社ビズリーチ、もしくはVisionalで成し遂げたいことについて教えてください。

既に巨大な「ビズリーチ」というプロダクトを、さらに一段上のレベルに引き上げたいです。それによって、より多くのお客様に価値提供ができると思っていますし、そこに僕の「お人好し」が活きてくるのではないかと思っています。

また、僕は約4年にわたって「ビズリーチ」サービスの開発を担当し続けていますが、まだまだやるべきこと、やりたいことはあります。エンジニアとして、とても恵まれた環境に身を置けていると感じているので、これからもプロダクトを成長させられるエンジニアを目指して挑戦し続けていきたいです。

──本日は、お時間をいただきありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました!



この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。

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