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アメリカで急成長中のピックルボールで世界一を目指す船水雄太選手を、Visionalが応援する理由とは? Visional代表・南と船水選手にインタビュー。

ビジョナル株式会社・社長室で社内外のコミュニケーションを担当している田澤玲子です。

2024年1月に記者会見で発表させていただいたように、「新しい可能性を、次々と。」をグループミッションとして掲げるVisionalは、プロソフトテニスプレイヤー・船水雄太選手の米プロリーグ「メジャーリーグ・ピックルボール(以下、MLP)」への挑戦を支援しています。(詳しくは、こちら。)

船水雄太選手

ピックルボールは、テニス、卓球、バドミントンの要素を組み合わせたアメリカで急成長中の人気スポーツです。全米の競技人口は2022年に890万人に達し、3年連続で「アメリカで最も急成長しているスポーツ競技」になっています。今年に入ってから、少しずつ日本でも盛り上がりつつあり、今後、新しいムーブメントになる大きな可能性を秘めたスポーツと言えます。

船水選手は、大学生の時にソフトテニスで世界一に輝いた後、世界一の実業団に所属して日本リーグ10連覇を達成、その後、プロ選手として独立し、ソフトテニス界で長年にわたり活躍してきました。その後、船水選手は、Visional代表の南(壮一郎)さんに出会い、「ピックルボールに挑戦してみては?」と勧められたのをきっかけに、2024年1月に単身で渡米し、現在、日本初のアメリカのプロリーグ入りを目指すとともに、世界一になるために奮闘中です。 

※船水選手のYouTubeチャンネル「ピックルボールジャパンTV」は、こちら。

その船水選手が、先日10月24日に台湾で開催された「アジアピックルボール選手権2024」に日本代表として出場し、男子シングルスで銀メダルを獲得しました 。(詳しくは、こちら。)

成長著しい船水選手をさらに応援すべく、この記事の前半では、南さんへインタビューを行い、Visionalとして船水選手を応援している理由について聞きました。後半では、船水選手へインタビューを行い、どのような想いを持って再び世界一を目指そうとしているのかについて聞きました。


「新しい可能性を、次々と。」追求していく船水選手の挑戦を、Visionalとして応援していく。

──南さんがピックルボールを知ったきっかけについて教えてください。

南:Visionalでは、「新しい可能性を、次々と。」というグループミッションを掲げているように、常に新しい事業の立ち上げの可能性を模索しています。今の私の大きな役割の一つが、新しい事業の種を探すことで、世界のビジネストレンドの最先端を知るために頻繁に海外に出向き、気になる業界の様々な方々にお会いし、一次情報を入手しています。

そんな中、2021年、アメリカでピックルボールが急成長していることを知りました。ニューヨークでもセントラルパークのテニスコートが全部ピックルボールのコートになっているくらい人気で、どの街に行ってもコートがあります。まずは自分でやってみようと思い、現地の友達と遊んでみたのが始まりです。

その後も、アメリカに行くたびにものすごいスピードで普及していて、大きなムーブメントとしてピックルボールという新興スポーツが広がっていることを肌で感じました。自分が生きている内に新しいスポーツが生まれ、盛り上がっていくことはなかなかないので、これはおもしろいと思いました。

アメリカにはピックルボールのプロリーグがあり、2022年に、プロリーグがチーム数を増やして拡大する時に、一個人として、マイアミのMLP(メジャーリーグピックルボール)チームのオーナーグループの一員にならないかとお誘いを頂き、お受けすることにしました。

Visionalのグループミッションの最後に「新しい仕組みやムーブメントを生み出すことで、本気で実現したい未来へと加速させる。」とあるように、事業を立ち上げるのは始まりにすぎず、私たちは、その先に仕組みやムーブメントを生み出すことを志しています。新しいムーブメントが起きているのを見つけたら、積極的にその中に入っていって、なぜ人気があり、成長しているのかを自分の肌で感じながら知ることが、新規事業の種を見つける上での本質だと私は考えています。そうであれば、今回もそのムーブメントの中に自ら飛び込んでみようと思ったのです。

──南さんと船水選手の出会いについて教えてください。

南:コロナの感染拡大が多少落ち着いてきた2021年秋頃、経営者やスポーツ選手などが集まる会に参加した時に、船水選手が声をかけてくれて、それが初めての出会いでした。ソフトテニスのプロ選手として世界一になった話などをお聞きして、「今後キャリアとしてどうされるんですか?」と純粋に気になったので聞いてみたんです。すると、プロになった直後にコロナの影響で次々と大会が中止となり、思うように活動できずに悩んでいるとのことでした。

いろいろとお話しする中で、何か一つのスポーツを極めること、また社会人スポーツ選手の安定を捨ててプロ転向に挑戦した船水さんは、相当な覚悟の持ち主だと感じました。その覚悟があるなら、「これから新しいスポーツとして世界に普及していく可能性を秘めたピックルボールのプロ選手を目指してみては?」と問いかけてみたわけです。テニスや卓球のトップ選手などがピックルボールのプロリーグで活躍し始めていることを知っていたこともあり、もしかしたら船水選手もピックルボールを通して自身の新しい可能性を切り開くことができるのではないかと感じました。

──その時の船水選手の反応はどうだったのですか?

南:ピックルボールの存在を知らなかったこともあり、正直、その瞬間はあまり反応がなかったのですが、数日後、船水選手から「ピックルボールへの挑戦を応援してもらえないでしょうか?」という熱いメッセージが届きました。聞いてみると、自ら日本ピックルボール協会に連絡して、当時の日本チャンピオンから教わって試合もしてきたとのこと。ソフトテニスに似ている部分がたくさんあり、何度かプレーする中で勝てた試合もあって、手応えを感じたと。

これまで私は講演会などに登壇する機会が多々あり、参加者の方からアドバイスを求められることがよくあります。そうした時、「今日からできることを、たとえそれがどんなに小さなことでもいいので、何か一つを始めてみてください。」とお伝えするのですが、実際に行動に移す人は決して多くはありません。でも、船水選手はすぐに行動して、ピックルボールが自分に合うかを確かめていて、その行動力は本当に素晴らしいと思いました。

同時に、僕が提案したので、責任を持って船水選手の新しい挑戦を支援したいと思い、昨年2023年6月にロサンゼルスで出張があった時に、「トライアルとして一緒に来ませんか?」とお誘いしたんです。そこで、船水選手がアメリカのプロ選手と試合をして手応えを感じたようで、本気で挑戦することを決意したと話してくれました。

2024年1月、渡米前の記者会見。

──もともとは南さん個人と船水選手のご縁でしたが、なぜ、Visionalとして船水選手を応援することにしたのですか?

南:アメリカで急成長中の新しいスポーツであるピックルボールに、日本人初のアメリカのプロリーグ入りを目指して世界を舞台に挑戦する船水選手の姿が、Visionalのグループミッション「新しい可能性を、次々と。」と非常に重なったんです。

ソフトテニスの世界王者という今いる場所に満足することなく、自らの行動で新たなブレイクスルーを起こそうとする志。今はまだ想像もできないような未来に向けて、自ら変わり続け、学び続ける姿勢。そうした志と姿勢は、Visionalとしても創業以来とても大切にしてきた価値観であり、DNAです。だからこそ、Visionalとして船水選手の挑戦を応援したいと思いました。

もしかしたら、ピックルボールがいずれオリンピック競技になる日が来るかもしれない。それくらい大きな可能性を秘めたスポーツだと思います。Visionalは、そうした新興スポーツに挑む船水選手の新たな挑戦を応援していきます。彼の活躍を通して、日本のスポーツ界に新たな可能性やムーブメントが生まれることを期待しています。


次はピックルボールの世界一になって、子どもたちに夢を与えたい。

──船水選手にピックルボールのお話を伺う前に、ソフトテニス選手としてのこれまでのキャリアについて教えてください。

船水:幼少期からソフトテニスをしていて、15歳の時に、当時ソフトテニスの世界一だった日本代表の篠原秀典さんに教えていただく機会がありました。ものすごく刺激を受けて、「今日から3,000日でソフトテニスで世界一になる。」と決めたんです。それからがむしゃらに頑張り続け、そして大学4年の時、目標を掲げた日から3,000日以内で世界選手権で優勝することができました。その後も、アジア大会や世界大会など、様々な国際大会でメダルを獲得することができました。

遡ると、長い間、ソフトテニス界には国内にプロ選手がおらず、競技を極めた先の未来が見えづらい状況でした。このままでは次世代の子どもたちがソフトテニスをやめてしまうかもしれない。だったら自分が、ソフトテニスが好きな子どもたちの目標となるような存在になろうと決め、2020年4月にプロ選手になりました。そして、子どもたちに夢を与えるために世界一を目指してきました。でも、実際に世界一になっても、もともと思い描いていたようにはメディアで大きく取り上げられず、ソフトテニスに対する世の中のイメージや現況は何も変わりませんでした。

そして、その直後にコロナ禍になり全ての大会が中止に追い込まれ、無力感に苛まれていました。そんな中で南さんに出会い、ピックルボールという新興スポーツを知り、もう一度このスポーツで世界一を目指すことにしました。自分が再び世界一になることができたら、日本の子どもたちに夢を与えることができるのではないか。ソフトテニスを含めたラケットスポーツが今まで以上に盛り上がるのではないかと考えたのです。

──単身でアメリカに行って、きっと大変なことも多かったのではないかと想像します。

船水:全部苦労しました。僕は英語が決して得意ではないので言葉が聞き取れないですし、そもそもアメリカに行くこと自体が初めてだったので、とにかく分からないこと、慣れないことだらけでした。言葉が通じないとダブルスでペアを組んでもらえないですし、日本人は僕一人だけなので、周りの人からは友達のいない寂しいやつみたいに見えていたと思います(笑)。

──実際に試合に出てみて、いかがでしたか?

MLPに挑戦している選手は皆、本当に強くて。最初の2ヶ月間はシングルスで1度も勝てず、とても苦しい想いをする日々が続きました。

アメリカにはピックルボールで賞金を稼いでいるプロ選手がたくさんいて、みんなアメリカンドリームを目指してずっと練習を続けています。どの選手もものすごく練習をしていて、僕はせめて練習量・トレーニング量だけは負けないようにしようと意識しています。

たとえ夜遅くや早朝でも、他の選手に練習に誘われたり、トッププロから球出しを頼まれればすぐに向かいます。どんな形であろうと、ピックルボールコートに身を置くことは、僕にとって、選手として飛躍するためのチャンスを拾うことに繋がります。その機会を決して逃さないよう、心も体も常に準備しています。

アメリカのピックルボールアカデミーに通い、
アメリカ人選手の層の厚さを実感。

──言葉が通じないと、ダブルスのパートナー探しも大変そうですね。

船水:とても大変でした。最初の2ヶ月間はパートナーが見つからず、ダブルスの試合に1度も出場できませんでしたから。日本人ということもありますし、ソフトテニスの技術を使った独特なスタイルでプレーするので、面倒くさがられるんですよ。それに仲間内でトレーニングをしたり、ペアを組む選手が大半なので、そもそも英語ができなかった僕はその輪に入れなかったんです。

最初は英語力ゼロで、自己紹介も怪しいぐらいの状態からのスタートでした。毎日、練習の前後で約2時間、英語の勉強を続けてきました。ピックルボールの練習と同じぐらいの努力量で取り組まないと、ダブルスで良いパートナーに巡り会えないので、必死に勉強し続けました。今は少しずつですが、パートナーに自分の意思表示をすることができるようになってきました。

最初は大変でしたが、徐々に自分の力を認めてくれてペアになってくれる人が出てきました。本当は固定ペアがいいのですが、1試合ダメならお別れするというシビアな世界なので、チャンスが回ってきたらその都度全力を尽くしています。ある時、16歳の少年と前日の夜にペアを組むことが決まって、当日初めて会って試合したことがありました。その時のペアで、シングルスで優勝経験があるプロに勝ったんです。このように、いつ何が起きるか分からない。たとえ大変でも、諦めずに挑戦し続けていればチャンスは見えてくるなと思いました。

ペアがいない選手同士のマッチングではなく、
初めて正式にミックスダブルスのペアを組むことになった
Dana選手とのデビュー戦。

その後、直近9カ月で計20大会に出場し、最高成績はプロトーナメントでシングルス9位(2024年10月、テキサス・ダラス大会)、ミックスダブルスベスト32(2024年10月、テキサス・ダラス大会)、男子ダブルス9位(2024年10月、テキサス・ダラス大会)です。そして、8月には、バージニア州ブリストルでPPA公式のプロ・アマチュアが混在する大会に出場し、優勝できました! 賞金1000米ドルをかけた試合で、初めてピックルボールで賞金を得ることができました。 これは僕にとって大きな一歩です。まだまだではありますが、少しずつ手応えを感じ始めています。

初優勝のセレモニー。

また、先日10月24日に台湾で開催された「アジアピックルボール選手権2024」に日本代表として出場し、男子シングルスで銀メダルを獲得することができました。今大会のミッションは日本代表として金メダルを獲得することだったので、残念ではありましたが、プロ選手が数多く出場している難関の種目で日本チームとして初のメダル獲得となったので、とても嬉しいです。

「アジアピックルボール選手権2024」
男子シングルス表彰式

──渡米後、南さんとのやりとりの中で印象に残っているエピソードはありますか?

船水:いつも応援してくださっていて、試合終了後すぐに応援してくださっている方々に大会結果の報告をしているのですが、南さんは僕が報告する前にウェブサイトのリアルタイム速報を確認して、「残念だったね。次は頑張ろう。」などと連絡をくださったこともあり、ご多忙の中気にかけていただけていることが嬉しかったですね。特に渡米後すぐは、何もかも思うようにならなくて苦しい時も、前向きな言葉をくださったおかげで、自分を奮起することができました。     

今年4月に初めて予選を突破して、本選で24位になり、本選に出場できた時に、南さんがMr.Childrenの「終わりなき旅」の歌詞全文をLINEで贈ってくれたんです。この歌は、南さんがビズリーチを創業して間もない頃から、毎年の忘年会などのイベントがあるたびに社員の皆さんで何度も歌ってきた思い入れのある歌だと聞きました。

この歌の歌詞に今の僕の現状が被ることがあり、改めてとても素敵な歌だなと思って、先日、アメリカのラジオ番組に出演させていただく機会があって最後に流す1曲を選んでほしいと言われた時に、南さんとVisionalの皆さんへの感謝の気持ちを込めて、「終わりなき旅」をリクエストしました。     

南さんからこの歌の歌詞をエールとして贈ってもらえたことが、今の自分にとってアメリカでの挑戦の原動力になっています。

──船水さんは、アメリカでの挑戦の様子をYouTubeで発信し続けていますね。

船水:ありがとうございます。「ピックルボールジャパンTV」というチャンネルで、ピックルボールの試合や、アメリカでの生活のリアルな模様を動画にして届けています。日本ではなかなかMLPツアーを見る機会がないと思いますし、今後の国内でのピックルボール競技発展に向けた大きな一歩にも繋がるので、少しでも見てもらって応援していただけるとありがたいです。

──最後に、日本の皆さんにメッセージをお願いします。

もう一度世界一になれるよう、無我夢中で頑張っています。僕がピックルボールで世界一になることで、日本人の皆さん、特に子どもたちに夢を与えたいです。喜びは一瞬で、苦労がほとんどだと思いますが、これからもなんとか食らいつきたいです。

僕の挑戦は、南さん、Visionalの皆さんをはじめ、いつもたくさんの皆様に応援していただいているからこそ、こうして活動を続けられています。今後も皆様への感謝の気持ちを忘れずに、日本のピックルボール界を背負っていく覚悟で、目標達成のために精進します。


最後に。

船水選手と南さんのやり取りを近くで見てきた中で思うことがありました。世界一になった現状に甘んじず、新しい世界で高みを目指して果敢に挑戦し続ける船水選手の背中に、Visional Wayのバリューの一つ「変わり続けるために、学び続ける」が重なり、私自身、日々勇気をいただいています。そして、掲げた志のために、どんなに困難な状況でも粘り強く行動し続ける船水選手の姿は、南さんに似ているなと思います。

もう一つ思ったことがあります。この夏のパリオリンピックを見る中で、ピックルボールにある競技を重ね合わせていました。5つのメダルを獲得し、大注目されているフェンシングです。全種目(フルーレ・エペ・サーブル)、しかも個人ではなく団体戦でメダルを獲得されたというのは、層の厚い本当の強さの証拠だとメディアなどで言われています。

実は、ビズリーチでは、2017年に、太田雄貴さんが会長を務めていた日本フェンシング協会の採用のご支援をしました。当時、協会のビジョンとして「フェンシングの先を、感動の先を生む。」を掲げ、その目標に「メダルを目指すことだけでなく、その後に日本社会にフェンシングを根付かせる」「財政基盤の安定」などを挙げ、矢継ぎ早にスポーツ界初の様々な革新的な取り組みをされました。ただ、当時、予算も人員も限られており、非常にチャレンジングな状況でした。

当時、太田さんはこうおっしゃっていました。

「私たちがファーストペンギンになって、フェンシング界だけではなく、スポーツ界をよりよくしていくための成功例をつくることで、他の競技団体にとって目指すべきロールモデルにしたいと考えています。」

その想いに私たちは共感し、ご支援したいと思い、2018年、日本スポーツ協会で初めて、副業・兼業限定の戦略プロデューサーをビズリーチで公募し、1,127名のビジネスプロフェッショナルが応募し、登用された方々が活躍されました。

私は採用時のPRのご支援をさせていただく中で、当時、協会をはじめ奔走されている方々の熱い背中を拝見しました。そのような経緯があり、今年の夏のオリンピックのフェンシングジャパンチームの大躍進を見て、これまで本当に多くの方々のたゆまぬ努力があって、何年もの年月の先に、今このムーブメントがあるのだと想いを馳せ、その一本の長く太い道のりに言葉にならない感動を覚えました。

南さんが今年1月の船水選手の記者会見で「もしかしたら、10年後、ピックルボールが世界に広まり、オリンピックの正式種目に選ばれるかもしれない。もしそうなったら、私たちは船水選手を応援できてよかったと思うでしょう。」と話していました。かつて、非常にチャレンジングだと思われる目標を掲げた日本のフェンシングが今では、オリンピックで3種目全ての団体戦でメダルを獲得し、大きなムーブメントをつくり出しているように、いつかピックルボールも、日本のみならず世界中で大きなムーブメントになる日がくるかもしれない。そのワクワクする未来を想像しながら、私たちVisionalは、船水選手をこれからも応援していきます。


この記事の執筆担当者

田澤 玲子/Tazawa Reiko
2000年、東京外国語大学英米語学科を卒業後、PR会社を経て、外資系広告代理店のPR部門で外資系企業を中心に担当する。2005年、米国 Match.comの日本オフィス設立に参画し、マーケティングマネジャーを務めた後、日系企業でPRに従事。2009年、ビズリーチの創業準備期に参画し、PRに従事。ビジョナル・インキュベーション株式会社でインキュベーション事業のPR担当を経て、現在は、ビジョナル株式会社 社長室 グループコミュニケーショングループで社内外のコミュニケーションを担当。モットーは「みんなのチアリーダー」。


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