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課題解決を通して、みんなが「本当に好きなこと」に近づくお手伝いをしたい。

今回は、2018年4月にデザイナー職として新卒入社し、現在は、株式会社ビズリーチのプロダクトデザイン室ビズリーチ事業グループ所属の武穂波さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。

半生を振り返りながら、武さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事の掲載写真は、在宅勤務への移行前に撮影したものです。


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プロフィール

武 穂波/Take Honami
愛知県豊田市出身。名古屋市立大学大学院芸術工学研究科を修了後、2018年4月に新卒で株式会社ビズリーチに入社。地域活性推進事業部(現:企画推進室)とスタンバイ事業部で地方の企業様向け求人作成CMSのプロダクトデザインを担当した後、「ビズリーチ」のカスタマー向けアプリのリニューアルおよびグロースにおけるプロダクトデザインを担当。現在は、プロダクトデザイン室ビズリーチ事業グループのリーダーとして、サービスの体験設計やデザイン、新規プロジェクトの企画やデザインなどを担当している。


夢中に絵を描き続けた幼少期~学生時代

──今回の取材では、武さんのこれまでの人生を遡りながらお話を聞かせていただきます。よろしくお願いします!

はい、よろしくお願いします!

──まず、幼少期や学生時代のお話から聞かせてください。

愛知県の豊田市で生まれ育ちました。

小さい頃から、とにかく動物が大好きで、ふれあい動物園に行って、ヤギにレインコートの袖を食べられたことが一番古い記憶として残っています。また、幼稚園には大きなウサギ小屋があって、ウサギのお世話をするのが毎日の楽しみでした。おじいちゃんが畑で野菜を栽培していたので、もらったニンジンやキャベツなどを持って行ってあげたりしていましたね。

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よく動物と一緒に遊んでいた幼少期。

そして、絵を描くことも好きでした。たしか、親戚のおじさんに「けろけろけろっぴ」のクレヨンをもらったのがきっかけで、はじめは、両親が描いてくれた絵本のキャラクターの絵を真似して描いていました。

私が描いた絵を両親が「すごいね」と褒めてくれるのがいつも嬉しくて、保育園のお迎えに来てくれた両親に似顔絵を描いてプレゼントしていました。それから、どんどん絵を描くことに熱中していきましたね。

──その後も、ずっと絵を描き続けていたのでしょうか?

はい。小学校に入学してからは、さらに絵を描く時間が増えていき、少女漫画のような可愛い女の子の絵を描くことに夢中になっていました。名前や設定を考えながら、たくさんのキャラクターを生み出していく過程が、とにかく楽しかったです。

──小学生になってから、さらに絵を描くことに打ち込んでいったのは、なぜだったのでしょうか?

友達が、私の描く絵をすごく褒めてくれて、だからこそ、絵を描くことにさらに打ち込んでいったのだと思います。当時はそこまで意識していませんでしたが、ただ自分が満足するための絵を描くというよりは、友達に喜んでもらうための絵を描いていたのかもしれません。

ただ同時に、「もっと上手な絵を描けるようになりたい」という向上心もありました。そして、小学3年生の時に、美大受験を目指す高校生が通う画塾に通い始めました。他の生徒はみな、自分よりも5~6歳上でレベルの高い方ばかりだったので、「自分も負けたくない」「早く追いつきたい」と思い、絵に対する熱量はますます上がっていきました。

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5才の頃、コンテストで表彰してもらった絵。

──中学生になってからも、絵を描き続けていたのですか?

はい。ただ、画塾に通いながら、ソフトボールも始めました。

父と弟が野球好きだったので、小さい頃から野球は身近なスポーツで、よくテレビでプロ野球の試合を観ていました。いろいろな選手がいる中でも、特に、井端弘和選手の大ファンになりました。そして、「将来はこんな人になりたい」「同じ体験をしてみたい」と思い、中学ではソフトボール部に入部しました。

──井端選手のどのようなところに惹かれたのでしょうか?

「影の立役者」という渋いプレースタイルに惹かれました。目立つプレーはせずとも、守備の要を担ったり、大事なところでヒットを打って点に繋げるプレーを見ていて、確実にチームの勝利のために貢献する姿にグッときたんですよね。

だからこそ私は、4番バッターとしてホームランを打つ人よりも、たとえ地味でも、仲間のためにチームプレーに徹する人になりたいという気持ちがありました。あの頃から、ぼんやりとチームで何かを成し遂げることに対する憧れを抱いていたのかもしれません。

ただソフトボール部では、得意だった絵と比べて、結果を出せずに落ち込むことも多かったですね。でも、苦手なりにも諦めずに続けることで、少しずつ前進できるということを、経験を通して学ぶことができたと思っています。


迷いと葛藤の日々。そして「中途半端」な人生との決別。

──中学生になってからは、どのような思いで絵を描き続けていたのですか?

はい。高校に入るまでは、「もっと上手になりたい」という一心で、がむしゃらに絵の練習を続けていました。そのたびに、どんどん新しいスキルが身につくのが楽しかったです。

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高校1年生の頃に描いたデッサン。

ただ、高校に入ってからは、自分の絵に対する向き合い方が少しずつ変わってきました。私は小学3年生の時から画塾に通い、それまで10年近く絵のスキルを身に付けてきたので、悪い意味で自信過剰となり、驕りのような気持ちが出てきてしまっていました。

あの頃の私は、「これぐらい上手く描ければいいや」という中途半端な気持ちで絵を描いていて、結果、気付いたら3年ほどスキルが伸びない時期が続きました。画塾の他の生徒たちは、美大受験に向けてどんどん成長していたにもかかわらず、当時の私は、勝手に自分で自分の限界を決め込んでしまい、真正面から絵と向き合うことができていませんでした。

──当時は、武さんも美大を目指していたのですか?

美大を受ける選択肢はあったのですが、結局、受けませんでした。中途半端に絵と向き合っていることを自覚していたからこそ、本気で美大を目指す覚悟を決めることができませんでした。また、真剣に美大を目指している人に対する後ろめたさも感じていました。そうした悪循環でどんどん自信を失っていましたし、同時に絵に対する価値観も変わってきていたこともあり、最終的には美大ではない道に進むことにしました。

結果、無事に第一志望の大学の情報環境デザイン学科に合格することができましたが、その受験では、自分の絵の力を完全に発揮できなかったと思っています。美術の試験の配分がそこまで大きくなく、「ここまで打ち込んできた絵の実力を試す挑戦をしなかった」という後悔が残りました。また、自分が目指すスキル練度まで達していないまま受験に臨んだため、合格してもモヤモヤした気持ちが残りました。

──武さんは、情報環境デザイン学科に進学しましたよね。この学科を志望した理由について教えてください。

小さい頃から、がむしゃらに絵を描くことに打ち込んできましたが、高校の頃から、「なぜ絵を描くのか?」という目的について考え始めるようになったことがきっかけでした。それから、「社会において、絵やデザインをきちんと役立たせるための勉強がしたい」と思うようになり、情報環境デザイン学科へ進学することを決めました。一般大学の中のデザイン科なので、経済学部や医学部、薬学部、人文社会学部といった幅広い専門性を持った学生と知り合うことができ、絵やデザインがただ作品で終わるのではなく、誰かの役に立つような方法を学べる環境なのではないかと思いました。

ただ、志望していた学科へ入学したにもかかわらず、しばらくはモヤモヤしていた時期が続き、指定された課題や役に立つといわれた資格試験をこなすばかりの日々でした。何をしても及第点こそ取れるものの、心から達成感を感じられずにいました。進みたい専攻を見つけられずに焦ったり、「何かしないと」と思い行動しても、結局、「自分がやりたいことって何なんだっけ?」と迷子になってしまって。やるべきことばかり探して、やりたいことが見つからない。そんなモヤモヤした時期が続きました。

──そのモヤモヤはいつ解消されたのでしょうか?

大学2年生の頃に、心から打ち込めることを見つけて熱中し始めてからです。その時、何をするにしても中途半端だった自分とは、決別する覚悟ができました。

──心から打ち込めることとは、何だったのでしょうか?

学芸員になることを目指して必死に勉強をしました。

そのきっかけは、大学2年から博物館のサポートサークルに参加したことでした。大学の授業でも「博物館の課題を解決すること」をテーマに制作するようになり、学芸員の方たちにヒアリングを行う過程で、好きなことを突き詰める生き方に感銘を受けました。もともと私自身も歴史が好きで、よく博物館に通っていたので、その時に、将来はデザインの視点を生かした博物館の学芸員になりたいと思い、学芸員資格を取るために大学院に進学しました。


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大学院時代、博物館の視線解析研究の成果をカナダで発表した時。


誰かにとっての負を解決するため、ビズリーチへ

──学芸員を目指していた武さんが、ビズリーチにデザイナーとして入社するまでに、どのような経緯があったのでしょうか?

学芸員のインターンに参加した時、博物館の運営の仕組みや実際の学芸員の働き方を知り、考え方が変わりました。学芸員の方たちは、「価値のある文化を地域の人々に伝えたい」という強い想いを持って働いているにもかかわらず、様々な構造的な理由があり、その能力を最大限に活かしきれていないと思ったのです。

それまでは、私自身が学芸員になることを目指していましたが、一つの博物館のためだけに働くのではなく、そうした人たちが能力を活かしながら自分らしく働くために「負を解決」することが本質的に自分のやりたいことなのではないかと思うようになりました。そして、ビジネスを通して「世の中の課題の解決を目指す会社」という軸で就活を始めました。

また、学芸員のインターンをしていた時に、博物館をはじめとする文化の力が、それぞれの地域やそこに住む人々の生活に、どのような価値をもたらすのかを考えていました。そして、ITの力を活用して事業を展開している会社で働くことができれば、地域にとらわれず、より広く価値を提供していけるのではないかと思い、IT企業を探し始めました。

──ビズリーチと出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

きっかけは、クリエイター向け就活サービス「ViViViT」に、大学時代に手掛けてきた作品や活動をまとめたポートフォリオを投稿したことでした。その後、ビズリーチからスカウトメールが届き、デザイナーのインターンに参加しました。

いろいろな社員からお話を聞くなかで、当時のビズリーチが掲げていた「インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げていく」というミッションに惹かれていきました。また、デザイナーの社員だけでなく、セールスや企画、エンジニアをはじめ様々な職種の社員の方たちにもお話を聞く機会をもらいました。そのなかで、お会いする社員がみな、「価値あることを、正しくやろう」というValueに共感し、働くことを通して体現していることに気付きました。そして、この会社であれば、私の成し遂げたいことを実現できると思い、入社を決めました。

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趣味は旅行。2018年に訪れた八丈島にて。

──2018年4月の入社後、武さんは、地域活性推進事業部(現:企画推進室)に配属されましたね。

はい。8月に配属されてから、「スタンバイ・カンパニー」(現:かんたん求人作成)のプロダクトデザインに携わってきました。はじめは、先輩からにサポートしてもらいながら仕事を進めていたのですが、途中からその先輩が異動となり一気に担当領域が広くなりました。その時は不安な気持ちもありましたが、デザイナーや、エンジニア、プロダクトマネージャーをはじめ、いつでも親身になって相談にのってくれるチームの仲間たちに囲まれていたので、余計な心配はせずに、プロダクト改善に打ち込むことができました。

──その後、武さんは、「ビズリーチ」サービスに携わられていますよね。

はい、約半年かけて、アプリのリニューアルを行いました。プロジェクトチームには、豊富な経験を持つエンジニアやデザイナーの先輩ばかり集まっていたので、自分の役割を見つけてチームに貢献するまで苦労しました。

チームでなかなか成果が出せずに落ち込んでいた時期、週次の1on1で、マネージャーのガリさん(福山憲司さん)に何度も相談させてもらいました。私自身まだまだ未熟な点ばかりであるにもかかわらず、それでもガリさんは、私が成長するために仕事への向き合い方や改善点を一緒になって考えてくれました。

あの時、「この人は、私の考えを尊重して信じてくれている」と思えたからこそ、未熟な自分に向き合い頑張ろうと思えました。何よりも、チームのために少しでも貢献したいという想いが強くなり、それから必死にプロダクトやマーケティングについて勉強しながら、業務に取り組んででいきました。

もちろん、先輩たちの技術や提案のレベルに追いつくことは容易ではなく、何度も辛い思いをしましたが、逆にいえば、ロールモデルとなる人たちと一緒に働くことができる環境に感謝しています。先輩たちの背中を見ながら、これからもチームのために努力し続けたいと思っています。

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三重県の伊賀の里モクモク手づくりファームにて。ミニ豚のひなたくんと。

──今後、Visional、もしくはビズリーチで成し遂げたいことについて教えてください。

先ほどのお話に通じるのですが、大学2年生の時、私は、好きなことを突き詰める学芸員の生き方に感銘を受けました。だからこそ私は、この会社で働くことを通して、みんなの「本当に好きなこと」に近づくお手伝いをしたい、と思っています。

本当にやりたいこと、好きなこと、心が惹かれることに、みんなが遠慮なく近づいていって欲しい。やらない理由、できない理由が無くなるように、そんな理由を探そうとしないで済むように。みんなの「本当に好きなこと」に近づくまでの負を解決すること。それが、私が人生を懸けて成し遂げたいミッションです。

はじめは、「価値のある文化を地域の人々に伝えたい」という強い想いを持って働く学芸員が、能力を活かしながら自分らしく働くための「負を解決」したいと考えていましたが、この会社であれば、それだけではなく、この大きなミッションを成し遂げられると思っています。

そして、その方法は決して一つではないと思っていて、たとえば、「ビズリーチ」サービスのリニューアルに携わることも、チームのマネジメントに携わることも、その手段の一つだと思っています。先のキャリアについて明確なプランを持っているわけではありませんが、この会社であれば、働くことを通して自分のミッションを実現できると信じています。

また現在、「本当に好きなことに近づくお手伝い」というミッションを実現するためにキャリアコンサルタントの資格の勉強も始めています。将来、キャリアコンサルタントの道を歩むかは分かりませんが、資格取得を通して得た知見は、必ず私のミッションの実現に繋がってくると思っています。

私は大学2年生の時に、それまでの中途半端な自分とは決別したので、今回もやると決めたからこそ、絶対にやりきって未来に繋げていきたいです。

──本日は、お時間をいただきありがとうございました!

とんでもございません、こちらこそ、ありがとうございました!


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この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、人財採用本部・採用マーケティンググループで、「ALL VISIONAL」の運営などを担当している。


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