技術を「梃子」にして、世の中の革新を支えていきたい。未知の領域、物流業界への挑戦。
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技術を「梃子」にして、世の中の革新を支えていきたい。未知の領域、物流業界への挑戦。

今回は、トラボックス株式会社のエンジニアである松本修さんに「パーソナルヒストリーインタビュー」を行いました。半生を振り返りながら、松本さんが大切にしている価値観や信条に迫りました。

※本記事内の写真の撮影は、ソーシャルディスタンスを保ちながら、撮影時のみマスクを外して行いました。


プロフィール

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松本 修/Matsumoto Osamu
2007年、奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科(ロボティクス)を卒業。その後、日本SGIに入社し、大手キャリア向けIP放送事業を担当。2010年、大規模Webサービスに惹かれて株式会社ミクシィへ入社し、SNS/各種ゲームのバックエンドシステムの開発、インフラ開発に携わる。その後、アマゾン ウェブ サービス ジャパン株式会社(Amazon Web Services)でソリューションアーキテクトを経験し、2021年3月、トラボックス株式会社へ入社。新規SaaSサービスの開発を担当しながら、今後を見据えた技術基盤整備を進めている。


「ものづくり」の可能性に魅了された学生時代。

──はじめに、幼少期や学生時代のお話を聞かせてください。

私の実家は長崎県の島原半島にある小さな家族経営の書店でして、父と母がいろいろな苦労をしながら店をやりくりして、私と弟、妹を育ててくれました。

父は、生きるために必要なことは全て自分の手でやるような人で、ライフワークとしてDIYで様々なものを作っていました。身近な家具だけではなく、ボイラーの風呂釜を作ったりもしていましたね。銅管や電源などを加工して、最終的に屋上に風呂場が完成した時は、子供ながらに感動を覚えました。

そうした父の背中を見て育ったので、私自身も自然とDIYでいろいろなものを作るようになっていました。小学校時代は、子供用の無線機でどこまで電波が届くか実験したり、腕時計を分解してみたり、オリジナルの猫の家を作ったりしていましたね。

身の回りのものは自分で作る。壊れたらすぐに買い換えるのではなく修理する。そのために、様々なものの仕掛けや仕組みを理解する。そうした「ものづくり」の精神は、今にも通ずる基本的な価値観になっています。

──パソコンやエンジニアリングとの出会いについて教えてください。

中学1年の時、父がゲーム機の代わりに、EPSON PC-286CというDOS/V互換機を買ってきてくれました。本格的にプログラムを書く用意はなかったのですが、幸いにも実家が書店だったので、コンピュータ関連の書籍コーナーにあるMS-DOSの本を読みながら、バッチファイルや設定ファイルを作ってゲームの起動処理を自動化したり、2枚のフロッピーディスクを連携して読み込ませたりなど、環境構築を楽しんでいました。

長崎の片田舎からダイヤルQ2を使ってインターネットに接続するところまではできたのですが(とても高い請求がきて父を驚かせてしまったこともありました)、当時は、本格的なソフトウェア開発までは触手が伸びず、更に外の広い世界に踏み出すことができなかったのが今思えば残念でした。

ただ、中学2年の頃には、実家の書店の棚卸し用に、エクセルシートにVBAスクリプトを書いたりして、少しずつプログラミングの世界に興味を持つようになりました。

──大学では、どのようなことを学んでいましたか?

九州工業大学工学部機械知能工学科で、制御コースを専攻しました。大学に入ってすぐ、Linuxを使った講義を受け、そこでhkim(ハンドルネーム)という先生との衝撃的な出会いがありました。hkim先生は、当時の私に、ソフトウェア開発の楽しさや深遠さを教えてくれた方です。

大学1年生の夏頃から、hkim先生が主宰するMELTというゼミに通うようになりました。ゼミと言っても、廊下にパソコンを並べたサークルのような集まりで、C言語の名著であるK&Rの輪読会をしたのを覚えています。

先生は大工の棟梁みたいな方で、丁寧に寄り添って教えてくれるようなタイプではありませんでしたが、当時の私にエンジニアとしての道標を示してくれました。MITの学部生の教科書として有名な「計算機プログラムの構造と解釈(SICP:Structure and Interpretation of Computer Programs)」やリチャード・スティーヴンスの「Unix Network Programming」を知ったのも、hkim先生の書棚でした。

当時はそれらの書籍を参考にC言語とGTK(LinuxのUIライブラリ)を使い、プロトコルから自作のネットワークットチャットツールを開発しました。Netwrokingに強い関心を持つようになったり、ゼミの仲間と「SICP」を読んでプログラミングという行為自体の面白さに惹かれたのもこの頃です。

その後、自分の機械に対する興味とソフトウェア開発の興味を合わせると、ロボティクスの分野に進むのが真っ当な選択だと考え、学部時代の後半は、ロボティクス関連の研究室に入りました。

当時、OpenCVが流行り始めの時代で、学部時代の卒業研究では、救助ロボットの操縦支援ツール(手先のステレオカメラの画像を処理して、操縦者が必要とする障害物との距離などの情報を視覚的に追加するツール)を開発しました。

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大学時代の一枚

学部卒業後は新しい環境で専門性を深めたいと考え、奈良先端科学技術大学院大学へ入学しました。そこで、ネットワークで接続されたロボット同士が、お互いに自分ができることを共有し合い、協力して何かを成し遂げることを可能とするソフトウェアアーキテクチャに関する研究を行いました。今で言うところのマイクロサービス・SoAの思想で、役割を細かく分けてソフトウェアやロボットが環境に存在している世界観を考えていました。

この思想の実装例が「動くプリンターロボット」で、自分のパソコンで印刷をすると、車イスを改造したプリンターロボットが、ネットワークカメラと連動して自己位置推定を連携させ、プリントをした人の机までプリンタごと紙を持ってくるという、ちょっと大袈裟なデモをしましたね。この時はRubyやCを使ったプログラムを書いて、複数のロボットやカメラが連携するプロトコルを自作していました。

──当時は、大学院卒業後の進路についてはどのように考えていましたか?

学生時代には、Linuxの思想やその界隈の有名人の活躍を見て、オープンソースソフトウェアの世界に近づきたいと考えていました。

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左:「UNIXネットワークプログラミング」
右:「ハッカーと画家」

また Lisp HackerのPaul Graham(Y Combinator創業者)のエッセイに感化されて、インターネットサービスを手掛けるスタートアップに興味を持ちました。

技術はあくまで目的を実現する手段・方法ではありますが、適用する場所によって、それが大きなスケールを生む「梃子」となり得ます。その環境こそがスタートアップであり、また、これからの時代においては、特にインターネットサービス業界において、技術の「梃子」が生み出す可能性が大きくなるとも思いました。

だからこそまずは、先人たちの技術を学び身に付けることを第一の目的として就職先を検討していきましたね。


エンジニアとして、いつまでも新しい挑戦を続けていきたい。

──大学院卒業後の経歴について教えてください。

2007年に、新卒で日本SGIというスパコンの会社に入社しました。当時はLinuxのコミュニティでも社名をよく聞いていたのと、スパコンで動くLinux KernelやDriverを開発・保守するエンジニアになりたいと考え、この会社を選びました。

しかし、入社直後に知った社内のインターネットサービスの新規事業に興味を持ち、その事業部からエンジニアとしてのキャリアをスタートしました。残念ながら、その事業は約2年で終了することになり、その後はデータセンターにおけるLinuxベースの監視システムの構築や、IP放送事業の部門で、大手キャリア向けのIP放送設備のSIer業務などを担当していました。

この時、自分が手掛けたプロダクトがエンドユーザーにどのような価値を提供するのかを徹底的に追求したい、またその開発・改善にオーナーシップを持って携わりたいと考え、SIerから自社サービスの開発を手掛ける事業会社へのキャリアチェンジを考え始めました。そして、2010年、株式会社ミクシィに入社しました。SNS事業「mixi」では、大規模なインターネットサービスに携わる醍醐味を味わう機会が何度もありました。

入社してすぐの頃は、数千台のサーバのOSの入れ替えプロジェクトや、サーバプロビジョニングの仕組みの導入などを手掛けていました。また、物理サーバの構成管理からセットアップ・運用・故障修理のライフサイクルを自動管理する仕組みを自前構築するなど、インフラ運用の省力化を行いました。

2012~2013年には、DCのフロア削減、サーバの台数削減のための構成変更に大きな労力を使いました。そのコンテキストの中で、既存で運用されている無数の小さいホストを1つのサーバに多重化するため、自社ネットワークインフラに合わせたコンテナプロビジョニングツールをLXCを使って開発しました。

その後は、次なる新規事業を作るための基盤となる社内BaaS開発プロジェクトがあり、OpenStackベースのアプリ基盤を開発していました。

2013年の後半からモンスト事業に異動し、海外事業向けのシステム開発を担当しました。その後、R&D的な活動として、モバイル端末から動画ストリーミングする仕組みや音声通話の開発に携わりました。

そして2016年から心機一転、デバイス・モバイル・コミュニケーションの領域で新しい顧客体験を提供する新規事業を担当しました。全くゼロベースでの事業立ち上げで、自身の経験を超えて様々なチャレンジができたのですが、残念ながら志半ばでのプロジェクト中止となってしまいました。

──松本さんは、その後にAWSに転職していますね。

はい、ミクシィで新規事業を経験したことで、様々な企業の事業立ち上げを技術的に支援できる立場に魅力を感じるようになり、AWSへ転職しました。

AWSのSolution Architectは、様々なお客様が直面している課題についてヒアリングしながら、エンジニアリングの観点から課題解決のためのソリューションを見極め提案するポジションです。とても幅広い経験を積むことができ、自分のキャリアにとって非常に意義のある2年間だったと思っています。

──続いて、トラボックスに入社を決めるまでの経緯について教えてください。

AWSでは、様々なお客様の技術課題に対してソリューションを提案をしていたのですが、当然ですが、最終的な判断はビジネスオーナーであるお客様に委ねられます。次第に、第三者の立場からは、ビジネス全体の広いコンテキストを踏まえたうえで最適なソリューションを提案することの難しさを感じるようになりました。

もちろん、お客様の課題解決のために貢献するという深い意義のある仕事であることは間違いないのですが、お客様の先のエンドユーザーを見据えたビジネス判断や会社全体を俯瞰したプロダクトにおける技術判断をオーナーシップをもって経験しなければ、自分自身の経験が磨かれないと思うようになりました。当時30代後半を迎えていたので、新しい挑戦をできるタイミングも限られているという危機感もありました。

事業会社、更に言えば、今まで自分が経験したことのないような未知の領域で、技術を「梃子」として活かす挑戦をしたいという想いで再び転職活動を始め、ある時、トラボックスからお声がけをいただきました。

実はAWSで働いていた時に、Visional(当時は株式会社ビズリーチ)を担当していて、次々と新しい領域における事業づくりに挑戦していく過程を外から見ていたので、新しくVisionalに加わったトラボックスからお声がけいただいた時はとても驚きましたね。

そして面談で、南(壮一郎)さん(Visional代表)や、トラボックスの石田(雄一)さん、稲垣(有二)さんから物流業界が直面している課題について話を聞いた時、こんなに挑戦しがいのある未開の領域があったことに驚きました。

この領域であれば、技術を「梃子」として生産性をグンと引き伸ばすことによって、業界全体の変革を支えることができる。その社会的意義に強く惹かれました。また、物流業界における新しい当たり前をつくることを見据えたビジョンを聞き、そこに大きな可能性を感じて入社を決めました。


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物流業界の変革という想いを
共にする石田さんとの一枚


物流業界をテクノロジーの力で再定義していく。

──松本さんは、2021年3月にトラボックス株式会社に入社しました。実際に入社して、どのようなことを感じましたか?

まず率直に、お客様との距離の近さに驚きました。私たちが開発しているのはBtoBのSaaSプロダクトなので、それぞれのお客様専用にカスタマイズすることはありません。しかし、真の意味でお客様から求められ、愛され続けるプロダクトを実現するために、トラボックスの開発においては、プロダクトマネージャーもエンジニアもお客様のもとを訪問し、プロダクトをご利用いただく方々が向き合う課題の解像度を高めています。

そして、「お客様の本質的課題解決」をスピーディーに実現するために、見出したソリューションを優先度をつけながら実装スケジュールに組み込み、高速でPDCAを回しています。入社当時、お客様の現場に深く入り込んでいく組織としての姿勢に、とても感動しました。

特に驚いたのは、プロダクトマネージャーが、作業中のお客様の横でストップウォッチを持ち時間を計る光景でした。お客様の作業時間を計測し、プロダクト利用前と利用後の効率性の変化を測っているのです。そして、現場で得た気付きをもとに、更なる効率性向上のための機能を提案し、開発の優先順位を整理しながらリアルタイムで開発スケジュールをアップデートしていく。こうした徹底的にお客様の成果にコミットする姿勢が、組織に当たり前のものとして浸透しているからこそ、メンバー全員が非常に高い納得度をもって開発に取り込むことができていると感じています。

──松本さんも、お客様の現場に足を運ぶことは多いと思いますが、印象に残っているプロジェクトがあれば教えてください。

私が訪問したお客様の現場で、経理部門と配車部門の間で荷物案件の金額の修正依頼や金額の確認が頻繁に行われているのを目にしました。そして実際の現場に張り付きながら観察するなかで、元となる情報がどういう形で届き、どのように検索、修正しているかがよく分かりました。

その場でプロダクトマネージャーと課題を整理しながらソリューションを考え、他のお客様にも似たような課題がないかリサーチしたうえで、優先度が高い案件であると判断し、すぐに数週間後のリリースを目指して開発に入りました。

そして、数日で初版を完成させ、お客様とのリモート会議でそのソリューションが課題解決の手段として本当にふさわしいかを検証していきました。その場でお客様からのフィードバックをいただきながら修正案を固め、非常に短い期間内でリリースを実現することができました。

このように、私たち開発チームのエンジニアは、与えられた課題を解くだけではなく、課題自体の発見・深堀と解決策の提案、検証、そしてリリースまでトータルで価値を発揮できるような働き方、一人一人が自ら主体的に行動し、ブレイクスルーしていく姿勢を大切にしています。

Visional Wayの中に「価値あることを、正しくやろう」という言葉がありますが、結果だけでなく、お客様と伴走するプロセスも重んじる仲間がとても多いと感じていますね。どれだけ組織が大きくなっても、一人一人がお客様のリアルに向き合う姿勢は、いつまでも大切にし続けていきたいと考えています。

──トラボックスの開発組織における働き方やカルチャーについて、他に特色などがあれば教えてください。

片岡(慎也)さん(トラボックス株式会社 代表取締役社長)と一緒に働けていることは、とても大きいと思います。片岡さんはプロダクトマネージャー経験者なので、プロダクト開発についての理解が非常に深く、エンジニアリングの難しさと重要性を非常に理解されているため、エンジニアが働く環境としてとても恵まれていると思います。中長期の観点をもって経営とエンジニアリングの接続を主導してくれているので、一緒に働いていてとても心強いですね。

また、片岡さんは、社員を信頼したうえで、あらゆる情報をオープンにしてくれ、その時々で考えていることをフランクに伝えてくれます。信頼をベースに情報や判断を社員に「預ける」。社員は「預けられた」からこそ、しっかりと自分の思考を出し切って成果につなげていく。片岡さんはこういった社員が自発的にオーナーシップをもてる雰囲気作りが抜群に上手いですね。

──最後に、今後、トラボックスで実現したいことについて教えてください。

私たちが目指していることは、既存システムや業務をデジタルに置き換えることで物流業界の生産性向上を実現することだけではありません。最終的には、そこから生成されるデータを活用して、新しい物流のプラットフォームを作っていきたいと考えています。それが実現できれば、物流の時空間の予測を通して、運送会社様や荷主企業様に、今では想像もできないような新しい価値を提供していけると信じています。

この物流業界をソフトウェアによって再定義していく構想を実現するために求められるのは、複雑な物流業界・運送業界の要件をソフトウェアで表現していくドメイン設計、複数のシステムからデータを収集するデータ基盤、そのデータを活用して予測・インサイトを生み出す機械学習システムなどです。まだまだ人数が少なく手がつけらていないことが多いのですが、新しい仲間を迎えながら、この壮大なチャレンジを必ず成功させたいと思っています。


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この記事の執筆担当者

松本 侃士/Matsumoto Tsuyoshi
1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2014年、音楽メディア企業に新卒入社し、音楽雑誌・ウェブサイトの編集や、採用などを経験。2018年、株式会社ビズリーチへ編集者として入社。現在は、ビジョナル株式会社の社長室で、グループの採用マーケティング施策を担当している。


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