ビズリーチ社長 多田洋祐、育休経験と、目指すべき「多様な働き方」を語る。
先日、子育てをしながら働く男性社員による社内コミュニティ「パパリーチ」について紹介しました。
このコミュニティは、2018年に発足して以降、Visionalグループの有志メンバーによって運営されています。オンライン交流会やSlackチャンネル上で育児に関する情報交換をしたり、育児をしながら働くうえでの悩みや相談を受け付けています。(「パパリーチ」とは別で、妊娠中・育児中の女性社員による社内コミュニティ「ママリーチ」も存在します。)
この記事では、「パパリーチ」の参加メンバーであり、株式会社ビズリーチ 代表取締役社長の多田洋祐さんのインタビューをお届けします。多田さんは、2020年3月、次女が生まれたことを機に1ヶ月間の育休を取得しました。今回のインタビューでは、初めて育休を取得して感じたことや、今後の「働き方」に関する考え方について話を伺いました。
※株式会社ビズリーチ 代表取締役社長 多田 洋祐は、2022年7月2日に逝去し、同日をもって代表取締役社長を退任いたしました。生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせいたします。
プロフィール
多田 洋祐/Tada Yosuke
2006年、中央大学法学部を卒業後、エグゼクティブ層に特化したヘッドハンティングファームを創業。2012年、株式会社ビズリーチに参画し、その後、ビズリーチ事業部長を務める。2015年より取締役として、人事本部長、スタンバイ事業本部長、HR Techカンパニー長などを務め、2020年2月、代表取締役社長に就任。
「自然」な判断だった育休取得。
──はじめに、育休取得に至った経緯について教えてください。
育休を取得すること自体は、思い切って決断したというより、私の中では「取るのが自然」という感覚でした。当時のビズリーチ経営メンバーでも、既に村田(聡)さん(ビジョナル株式会社 取締役 COO)や酒井(哲也)さん(株式会社ビズリーチ 取締役副社長 兼 ビズリーチ事業部 事業部長)が育休を取得していたので、「次は自分の番」という気持ちでした。
ただ時期については、少し考えました。次女は2019年の年末に生まれましたが、翌2020年2月にはグループ経営体制への移行が控えていたため、妻と話し合って3月の1ヶ月間、育休を取得することにしました。
──当時、多田さんは、2月に株式会社ビズリーチの代表取締役社長に就任したばかりでしたが、3月の1ヶ月間、不在にすることについて不安はなかったですか?
不安よりも「育休は今しかできないことだから、絶対に取りたい」という気持ちが強かったですね。また当時、経営者で育休経験者の小泉文明さん(株式会社メルカリ 取締役会長)にお会いする機会があり、育休取得の背中を押してらってもいましたので、不安はありませんでした。
育休中は、週1回の定例のグループ経営会議のみオンラインで参加することにして、あとの決裁については副社長の酒井さんにお願いしました。酒井さんや他の経営メンバー、また、一緒に働く仲間たちの理解とサポートがあったおかげで、育休期間中は、育児や家事に専念することができました。
──育休期間中の生活について教えてください。
妻も会社を経営していて既に仕事に復帰していたので、平日は私が小学生の長女と次女の2人の面倒をみていました。食事の用意、洗濯、次女のミルクや寝かしつけなどを一人で行うなかで、今まで自分がどれだけ妻に負担をかけていたのかということが、身に染みました。
というのも、長女の時は、今回の育休期間中ほど子育てや家事の時間を取ることができていませんでした。その当時、一度、妻にリフレッシュしてもらおうと思って「僕が世話をするから、自由に出かけてきていいよ」と送り出したことがあったんです。
最初の1時間くらいは問題なかったのですが、長女がママがいないことに気付いて大泣きしてしまいました。自分なりにあれこれ試してみたもののダメで、結果、2時間も経たないうちに妻に「帰ってきて欲しい」と電話して頭を下げました。その時、自分の父親として情けなさを感じました。
そうしたこともあって、今回の育休取得以前から、少しずつ夫婦で家事や育児の分担を始めていました。また、仕事の一環で、女性活躍推進に関する勉強会などにも出席したこともあり、それまでの自分の働き方を反省しました。
それ以降、妻との分担に合わせて家事や育児の時間を増やすようになりました。妻に言わせれば、まだまだ十分ではないかもしれませんが、それまでの自分と比べれば大きな変化でした。
──実際に育休を取得して、どのようなことを感じましたか?
次女から、父親と認識してもらえるのがとても早い印象ですね。長女の時は私が寝かしつけをしようとするとすぐに泣いてしまい時間がかかってしまっていましたが、次女はすぐにスヤスヤと寝てくれます。長女が小さかった時は、なぜ泣いているのか分からず困惑してしまうこともあったのですが、今回の育休期間中、次女の成長にしっかり向き合うことができたため、今は慌てることなく落ち着いて動くことができるようになりました。
またつい最近、私の誕生日に、長女が「一緒にいてくれてありがとう」「おいしいご飯ありがとう」という手紙を書いてくれたことが、とても嬉しかったです。育休中、家族との時間を通して、人生において大切なものを再認識することができたと思っています。育休後も、コロナ禍でリモートワークが増えたこともあり、家族と一緒に過ごす時間を多く取るようにしています。
「すみません」ではなく、「ありがとう」の気持ちを大事にしてほしい。
──育休取得後、仕事面ではどのような変化がありましたか?
仕事面では、子育てをはじめ、様々な事情を持ちながら働く仲間たちに対する共感度が高まりました。それまでも知識として知っていたつもりでしたが、育休を経て自分が経験したことで、育児に関する解像度は格段に上がりました。子どもが熱を出したらどれだけ大変か、どのような配慮がありがたいのか、など、以前よりも分かるようになったと思います。
何より、社長の私が育休を取得したことで、みんなが気兼ねなく育休を取りやすくなったと思っています。ただ、私が大事だと考えていることは、育休を取ることこそを是とする考え方ではなくて、「育休を取りたい人は、遠慮することなく取得できる」という雰囲気を作ることです。
育休を長く取りたい人もいれば、早く復帰したい人もいます。その人の人生、その人のキャリアですから、その人が自分の意志で決めればいいんです。そして一度決めたなら、必要以上に遠慮することなく、その選択に自信を持って欲しい。
一緒に働く仲間から、時に「すみません、育児のため休みをいただきます」と言われることがあるのですが、その時はいつも「何も悪くないじゃん、謝らないでいいよ」と返しています。私は、この「すみません」という言葉を、いつか無くしていきたいと思っています。
私たちは、一人では実現できないことをみんなで実現するために、同じ会社で働いているわけです。日々の業務の一つ一つも、お互いの助け合いのもとに成り立っています。だからこそ、困った時はお互い様であり、育休をはじめ長期の休暇を取ること自体に申し訳なさを感じる必要はありません。
私も育休を取得するにあたり、酒井さんをはじめ多くの仲間たちの力を借りました。一時的にバトンタッチすることで私から酒井さんたちに共有できたこともあり、その意味で、経営上のポジティブな効果もあったと思っています。だからこそ、仲間たちへの感謝の気持ち以外に、申し訳なさを感じる必要は全くないのです。
仕事だけに集中できない時は誰にでもある。その前提に立った仕組みを。
──現在、世の中の大きな流れとして、「働き方」の多様化が少しずつ進み始めていますが、多田さんは、育休をはじめとする様々な選択肢についてどのように考えていますか?
これからの時代、健康な人であれば何十年にもわたって働き続ける社会が見えてきています。そうした長いキャリアのなかで、仮に3人の子どもを産み、それぞれ2年ずつ休みを取ったとしても合計6年です。何十年にわたるキャリア全体の中で考えれば、その期間は決して長いものではないと思っています。
育児だけではなく、自身の病気や家族の介護など、仕事だけに全力投球できないタイミングは、あらゆる人に訪れ得るでしょう。人生は長いからこそ、その時々の事情に応じていったん仕事をセーブするという考え方は、本来とても自然なことだと思います。
また、日本の有効求人倍率は、2020年、新型コロナウイルスの影響で大きく落ち込みましたが、それでもなお1倍を超えています。労働人口の減少に伴う人手不足は、これから先も更に深刻化していくことを踏まえると、仕事だけに集中できる人材だけに活躍してもらおうとする考え方を続けていては、これから先の時代、企業も国も立ち行きません。
ビズリーチは「すべての人が自分の『可能性』を信じられる社会をつくる」というミッションを掲げています。どうすれば、そのような多様な働き方を認め、お互いに支え合い、すべての人が活躍できる社会を実現できるか。新しい時代に向けて、これからも仲間たちと一緒に突き詰めていきたいと思います。
「無意識の色メガネを外してくれた」ダウン症の子を授かって。
多田さんは、今回の育休取得のきっかけとなった次女が、ダウン症候群(21トリソミー)であることを公表しています。
予期せぬことに出生直後はショックを受けたと言いますが、今は妻の暁子さんとともに現実を受け止め、また「私たちの体験を言葉にして伝えることで、同じ状況の親子が抱いている不安の解消につながれば」という想いから、ダウン症に関する情報発信に努めています。今回、暁子さんにも取材に応じていただき、2人に話を聞きました。
「人生で最も感情のアップダウンを味わった時期」。次女が生まれたばかりの時期のことを、多田さんはそう振り返ります。多田さん夫婦が、医師から「ダウン症の可能性が高い」と告げられたのは、出産から約2時間後のこと。多田さんはその場で「可能性が高い、ということは違う可能性もあるんですか?」と聞き返しましたが、その返答は「(違う可能性は)ないと思ってください」というものでした。
「信じたくなかったんだと思います」正式な診断が出るまでの3週間、多田さんは「ダウン症 誤診」「ダウン症 じゃなかった」などの言葉で検索を繰り返したといいます。一方、暁子さんは、「医師に言われた以上、そうなのだろう」と受け止めつつ、多田さんのように様々な情報を調べることは「怖くてできなかった」そうです。
2人は、ともに何度も涙しました。しかし、そんな多田さん夫婦を前向きな気持ちにしてくれたのは、生まれたばかりの次女と、周囲からの支えでした。
出生直後の次女は、経管栄養のためにNICU(新生児集中治療室)に入りました。しかし、NICUを卒業し、少しずつ成長していく我が子を見て、多田さんは「本人がこんなに力強く生きようとしているのに、自分は何を悲しんでいるのか」と思うようになったと言います。
そして少しずつ、SNSなどで次女のダウン症について、周囲に情報発信するようになりました。次第に、ダウン症の親子についてのブログや、励ましのメッセージなどの情報が寄せられるようになりました。「なんて心強いんだ」そう感じた暁子さんは、自分たちがそうだったように、情報発信で救われる人がいると考え、機会があれば、今も自分たちの体験について話し続けています。
多田さんは、次女が生まれてきたことで「人生の景色が変わった」「自分が無意識にかけていた色メガネを、次女が外してくれた」と言います。また、ビズリーチは、「すべての人が自分の『可能性』を信じられる社会をつくる」というミッションを掲げていますが、多田さん曰く、「『すべての人』の定義が、自分の中で広がった」とも語ってくれました。
「人生の個人的なミッションとしては、障がいを持つ子の可能性を広げていくことにも関わっていきたいですね」
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この記事の執筆担当者
中川 雅之/Nakagawa Masayuki
2006年、神戸大学文学部を卒業後、株式会社日本経済新聞社に記者として入社。主に企業取材を担当する。2015年、『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』を出版。2021年4月、株式会社ビズリーチに入社。
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